「常識の範疇を越える情報」との対峙の仕方が問われる時代だ。

日常

あけましておめでとうございます。
今年も宜しくお願い致します。

 

さて。

1月1日からまぁ日本が荒れておりますね。

X(旧ツイッター)上では、「人工地震ではないか?」という投稿で溢れております。
「人工地震」と聞くとおそらく多くの方は、「また陰謀論か」となると思いますが。

人工地震に関しては今回に限らず、ずっと以前からその可能性は言われ続けてきたことです。

実際にGoogle検索をしてみれば解りますが、「人工地震の役割」という1972年の論文PDFも観れます。
それによれば、第1次世界大戦時には「敵の大砲の位置を知るのが最初の役割だった」と書いてあります。
1972年にはこのような論文があるということがひとつ。

また現在は人工的に雨を降らせるなど本当に簡単なようです。
そんな動画もXに上がってきております。
気温すらコントロールできてしまうのです。
有名なのですとHAARPですね。
気象をこれだけコントロールすることができて、人工地震だけその後まったく研究されないということはないでしょう。

現在はGoogleで【人工地震 新聞】で検索すると、「人工地震などというデマ情報がSNS上に流れている」という情報だけになっております。
ただ、【人工地震 新聞】の画像検索をかけてみると、昭和の頃は普通に新聞で取り上げられていたことが解ります。

昭和32年のものもあるくらいです。
現在の精度はもう想像をはるかに超えていてもおかしくはなさそうです。

 

ごぼうの党の公式がとても綺麗で解りやすいですね。

 

この2024年からこの先、本当に大切なことは、「自分の常識の範疇を越える情報との対峙の仕方」が問われると、私は考えております。

今までは、「国が言うのだから、全部マスメディア情報は正しいのだろう」という人が99%です。
そうやって済ませて来てしまった方々が99%なのです。

でも少し調べてみると、どうも世界の常識と日本の常識が大きくズレている。
ズレていると言うよりも、やはり「日本人が日本国に興味がなさ過ぎるのが問題」なのだと感じるのです。

大前提として、国はどうにかしてくれません。

そもそも、国に助けてもらおうという心意気が日本人的ではないのです。

国のために何ができるのかを問うて生きるのが日本人でしょう。

 

国のトップに居座る人たちの表情を見て、本当に「このトップなら大丈夫」と思っている人はどれくらいいるのでしょうか?
私からすると、日本人の顔をしていないと言いますか。
日本人としての誇りとか、大和魂と言いますか、そういう「血に訴えかけてくるもの」を何も感じないのです。

そういう人たちが今のトップで、政治を動かしております。
いや、動かしてもいないか。
マリオネットです。

 

だから信頼できない。
だから現在取れるだけの情報はできる限り取る。

自分の目と耳と心を通し、咀嚼した上で真偽を見分けていきたいと思うのです。

100%正しい人などいないでしょう。

ただ、情報鎖国日本においても、まだまだ情報は取れるのですから、最もチープな情報しか流れて来ないテレビを信用し過ぎるのは如何なものかと思うのです。

 

先日、ある方に「うちテレビ捨てたんだよね」と言ったら、「そんなテレビがないなんて変人になっちゃう」と言われてしまいましたが(笑)

はたして、どうでしょうか??

まぁ、確かに変人かもしれません。

 

世が狂い

狂わぬ者が

狂人よ

 

いろいろな風に解釈できる一節です。

 

能登の現地の人々が大変なことには変わりありません。
気の毒ですし、早い復興を祈ることしかできません。
そして、我々もいつ同じような状況下に置かれるかどうかなど本当に解りません。
辻褄の合わないことが大量に出てきている今回の地震が、本当にその通りなのだとすれば。
または、そうでなかったとしても、明日は我が身なのです。

それくらいの覚悟は当たり前に持って、毎日を過ごさねば。

 

しかし、Xは次から次へと「よくまあ見つけてくるなぁ」と思うような動画がたくさん出てきます。

 

P.S.

日本ではほとんど言われていないようですが、超過死亡も世界中で凄いことになっているようです。

動画の下に張り付く「ノート」も必死ですね。

国はちゃんとした情報を表に出すべきですが、そうさせてもらえないのでしょう。
それも国のトップがある意味腹を括れないからです。

ただトップだけの問題でもない。

 

本来、あらゆる仕事に対して私たちひとりひとりが命懸けで取り組まない限り、この国は良くならないだろうと感じます。
私たち治療家、施術家も同様。

この仕事に骨身を埋める気持ちなく生きていては、時間が、人生が勿体ない。
一度の人生です。

 

私の場合、なにか決意と言いますか、それを言葉に出してしまうとどうも安っぽくなると言いますか。
それで満足をしてしまう傾向にある。
言葉にすることは大切なのだとは思いますが、それ以上に、というよりも、その背景には「膨大な沈黙」がない限り、言葉が安くなるのだと感じております。
だから何でもかんでも口にすれば良いとも思っておりません。

大体、口に出て来る目標は、決意とかそういうものとは違うように感じています。
私の場合は、ただの欲望ばかりが口から出て来るようです。

それが悪いわけではないのでしょうけれども、「弁え」がないとやはり何か違うのです。
本当に自己の中にある大切なものは、そう簡単に口にはできません。

2024年も、時にこうしてブログに想いを綴りながら、一方で「膨大な沈黙」を自己の中に醸成していきたい。

 

あらためて。

明けましておめでとうございます。

今年も激しく宜しくお願い致します。

 

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toru-imizu

関節エステプロフェッショナルアカデミー代表の射水徹です。

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