私は私とその環境である。

日常

環境は人間の半分を形づくる。

昨日は小学校時代からの友人と五反田で食事。
以前、よく行っていたお店に行きました。
私も友人も好きなお店でして。

ただ、一人では脚が遠のいていたお店です。

遠のいたには明確な理由がある。
一人で行くとマスターが食事中ずっと話しかけて来ることがあり、落ち着いて食べれないのだm(__)m
もちろん、毎回ではないのですが。
他にお客さんがいなかったりすると、たまにそういうことがありましてね。

よく通っていた時期があり会話するようになりました。
ほどほどなら楽しいのですが、これが最初から最後までだと、もう途中から苦痛でしかなくてね。
本を読みながら食事したりして、話しかけられないよう対策するようになった。
厨房とは距離がありますから、遠くをみて「うんうん」と頷きながら食べるのが死ぬほど面倒臭くなってしまったのだ。
それがひとりで行くのを止めた、明確な理由だ。

昨日、帰り際の会計時に、「久し振りじゃない。3年振りくらいじゃないの?職場から近いのになぁ~(なんで来ないんだよ)。コンチキショー!!」って。
冗談交じりで言っているのは解るんですよ。
解るんだけど。
ちょっと本気も入り混じっている感じが嫌でした。
マスター酔っぱらってたのかな??
そもそも、コロナ中にも行ってる記憶があるから3年振りじゃないし、他に言うことないのかねと思ってしまったわけです。
まぁ、ちょっとガッカリしました。

 

皆さんは思います?
例えば5年振りとかに来院される方っていると思うのですが、「何でこねーんだよ」って思います?(笑)
思わなくないですか?
さらに、それを言います?
「何でもっと来ないんですか?」的なニュアンスのことを(笑)
自分事にして考えてみると結構ヤバイですよね(笑)

「もう二度と行かねー!!」とまでは思いませんが(昨日の帰り道、友達には「もう二度と行かねー」とか言ったけど)、一人で行くのはちょっとないかな。
また彼を誘って行こう(笑)

 

私の中でマイルールがありまして、「久し振り」とは言わないルールがある。
もちろん友達とかそういうのは別です。

治療院に来られる方々には、「久し振り!」と言わない。
実際言ったことがない。と思う

「先生久し振り!」はもちろんあります。
でもその返しも、「久し振りだね」とは言わないマイルールがあるのだ。

こちらから言わない理由は、「相手はこちらが思っているほど久し振りだと思っていないこともある」からです。

ただそれだけなのですが。
別に言ったから悪い言葉とは思いませんが、「久し振り」にはギャップがあることは解っておきたい。

「先生久し振り!」と言ってもらった場合は、「久し振り!」と返すより、「そんな久し振りだっけ?」の方がなんか良くない?
「5年ぶりですよ。」
「えッ!そんな経つ?そんな気がしないね」の方がなんか距離も近い気がします。

でも実際、そうじゃないですか?
1年ぶりとかって、あまり久し振りな感じしないでしょう?
こないだ3年ぶりの方が来院されましたが、本当に「え、もうそんな経つ!?」っていう感じでしたから。

 

まぁまぁ、そんなボヤキたくなることも帰り際にありつつも、昨日の飲みも最高に楽しかったから良い。
小学校時代の仲間はサラリーマンが少ないという話になった。
それは俺たちがそういう環境で育ったからだと彼は言っていた。
言われてみればたしかにそうだ。
私の父も電気屋だったし、友達の親は、コーヒー屋さん、糸屋さん、印刷屋さん、八百屋さん、ガラス屋さん、米屋さん、本屋さんなどなど、個人商店が多かった。
私自身も会社勤めするイメージがまったく湧かずに大学時代まで過ごしておりました。
「何かしら自分でやるだろう」と漠然と思っておりました。
昨日の友達も、また新たに会社を作ったそうな。
彼も常にワチャワチャ動いている男です。

私は私とその環境である

そういうことなのだろうな。
スペインの哲学者オルテガ・イ・ガセットの言葉です。
環境は人間の半分を形づくるということです。

いまどんな環境にいますか?

私の周りはいつも何か慌ただしく動いている落ち着きのない人間が多い気がする。
それに感化され、私も動けているように感じます。

いい環境に在ります。

P.S.
明日はちょっと遅い私の誕生日祝いで、義理の母が「回らないシースー」をご馳走してくれるのであります。
いやー、楽しみだぁー

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toru-imizu

関節エステプロフェッショナルアカデミー代表の射水徹です。

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