記念すべき、我が家からテレビが消えた日

日常

本日、我が家からテレビが消えました。

今後はモニターだけ置くかもしれませんが、とりあえず一旦何もなし。
テレビがなくなるだけで、かなり広くなった感じがします。

結婚して6年、ほぼほぼ民放は観ておりません。
朝にテレビがついたことは、おそらく一度たりともないかと。

テレビが映るとしたら、YouTubeやアマゾンプライムなどの切り替え時にちょっと映る程度です。

 

これからは益々情報は慎重に選んで観ていきたい。
今朝、西鋭夫氏の講演会を視聴し、あらためてそう感じました。

民放からは、一切まともな情報など流れておりません。
もう嫌というほど解った人はわかったハズです。
でも、おそらく日本人のほとんどは、いまだ「テレビ情報」が主であり、疑いのまなざしなどほぼほぼないのだろう。
ご高齢になればより顕著でしょう。

 

今では「フェイクニュース」という言葉を耳にする機会は増えたようには思うのですが、元は2017年のトランプ大統領の会見から。
日本でも、「勝手気ままなトランプ」という論調でしたよね。
そんな書籍も多数並んでいたかと。
あくまで陰謀論扱いでしたが、実際のところ、トランプ氏の言うフェイクニュースは、「実際にフェイクニュースだった」のでは。
その極めつけが、2020年の不正選挙でしょう。

 

もちろん、ネット情報や、SNSの情報がすべてとも思いません。
現に、YouTubeやFacebookもすでに規制が掛かっており、本当のことはなかなか上がってきづらいのが実際です。
一瞬アップされても、そのほとんどはバンされて終了です。
イーロンマスクのX(旧ツイッター)くらいでしょうけれども、それさえも慎重に観ないと中には誤情報もあるでしょう。
情報はあくまで情報として受け取り、白黒の前に自分なりに疑問を持ち、検証する必要があります。
自分が間違った時は間違えを認め、またそこから情報を精査していくという繰り返しが必要です。

 

本当に重要な情報はテレビではほぼ取り上げられません。
芸能人の不倫やら、その他さまざまなスキャンダルの裏で、本当に重要なことは勝手に進んでおります。
「お前ら大衆どもは、3Sだけで騒いでいればいいのだ」ということなのでしょう。

日本政府からすれば、国民が馬鹿であればあるほど、やりたい放題好き放題ですから。
アホみたいに多い政治家と官僚の数。
彼らとマスメディアはギットギトに癒着しているわけです。
それを許しているのは我々国民ひとりひとりです。
日本人は声をあげない、「我関せず」を美徳としている。
「我関せず」関しては、実際は3Sにやられて興味すら持てない。
持たせてもらえない。
それほどに「考える」という行為を、戦後奪われてきたのだと思います。
故、「我関せず」とシラケ顔していることなど、まったくの美徳でも何でもない。

お前ら、自国に対して少しは興味を持てよと。
我が国のことだぞと。

芸能の話しかできない馬鹿な大人ばかりでは、これからの時代を生きる子供たちが不憫でならない。

私はそう思います。

 

私もまだまだ歴史を知らな過ぎる。
そう自覚しております。
自国の本当の歴史を学ばずして、ただ生き、ただ死ぬで良いハズがないと。

今がよければいい。
自分が楽しければそれでいい。

生き方など自由だけれども、私には合わない生き方だと感じております。

知らない方が幸せだという人もいるのかもしれませんが、それを「家畜」と呼ぶのです。

「家畜で何が悪い!!」

今の日本人からはそんな声が多く聞こえてきそうですが。

 

そんな国に誰がした?

 

私だと思います。
すべての出来事を「自己責任」ととらえるならば、そういうことなのです。
要は、「私もその一人として加担してきた」と思うのです。
これからの残り少ない人生は、そこから脱して生きてゆきます。

toru-imizu

関節エステプロフェッショナルアカデミー代表の射水徹です。

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