「可愛げ」について考えてみた。

日常

可愛げとは、「不合理を受け入れられる器」のことである。

昨夜は久し振りにある男が五反田を訪ねて来た。

と言っても、数週間前の話の流れ(LINEの流れ)で、私が誘った(半強制?)のですが。
話というのは、「値上げについて悩んでいる」とのことでしたので。
「いやいや、今そこを考えていること自体が遅いでしょ」という話だが、本当にギリギリのギリギリというところで。
LINEで、「〇〇の院で今できる最大の変化はこうでしょ」を示したのですが。

昨日来て、「こうしました!」を見てみると、私のアドバイスがほぼ反映されておらず、また取っ散らかった数字を並べておりました。
「うーん。だから○○はいつも厳しいのだな。こないだのLINEちゃんと読んだ?」と。

結局、自分の懐しか考えていないから、どうも数字がいやらしいし、LINEした意味も伝わっていない。
値上なので、「通っている方のためを考えて」というのも変な話ではあるのだが、今後整体院を経営していくのにそこを直視できなければ、それこそ潰れてしまっては頼ってくれている方々のためにならないわけです。
過去の私の失敗事例から得たことを踏まえて伝えても、ヘンテコな数字に書き換えて持ってくるので、「〇〇は相変わらずだな」と。
開始早々の30分ほどクドクドブチブチ言わせてもらい、「はい。やり直します」と。

私の場合は、私などより圧倒的に見えている方にアドバイスを頂く機会が多いので、即効「そうします!」という案件だが。
相変わらずのズレっぷりが懐かしく、涙が出そうになりました(笑)

今回はさすがに素直にそのままやるでしょう。
もちろん最終的に決めるのはご本人ですけれども。

 

 

奥さんの後輩(ほぼ同期らしいのだが)は、まったく可愛げがないのだそうな。
たまたま今朝、そんな話に。
昨日はその後輩のために先輩方が時間をとって集まり、登壇の指導をする日だったようです。
そこでまたその後輩くんが、いらぬ一言を先輩方に対して言うのだそうで。

「そういうのてって何でだと思う?なんであーも可愛げがないのだろうか…わざわざ自分のために時間を割いてくれている先輩方に言う必要がある??」と。

「それはこれまでの人生に、先生や先輩を持たない人生を自分で選んできたからだな。」

 

結局、30代後半まで人間関係における面倒な部分を避けてきたのだと私は思っております。
厳しい先生や上下関係など、彼にはきっとこれまでほぼ皆無なのだろうと思う。
きっと仕事はできる人なのだろうし、頭も良いのだろう。
でも、不合理を受け入れられるだけの器がないのだと感じる。

30代も後半になり、もうそのまま行くだろうなと思う。
もし彼がそういうコトを理解できるようになることがあるとすれば、「オイお前ちょっとこい。お前ズレてるから」と言う上司の話に耳を傾けられるかだろう。
でもそれを伝える上司も、おそらく今は限りなく少ない時代なのだと思う。

故に、彼に可愛げなどもう無理だろうなと思うのである。

その点、昨日のズレズレ〇〇くんは可愛げはある。
それが唯一、且つ、大きな救いなのだと思って見ている。

 

よかったな、〇〇!!

 

P.S.
相変わらず、美味しいお店です。

【五反田鶏料理きむら 「とりわさ」が新鮮で、最高に美味しいお店です。】

仕事の話をするにも、とても良いお店です。
気に入るとそこばかり通い詰めてしまうのが、私の習性です。

途中、奥さんも参加。
丁度仕事帰りで、お腹が空いたとのことだったので。
その頃には「〇〇君へのブチブチタイム」も終了していたので、和やかな時間となりました。
今日は1本登壇があるようで、お酒も飲まずに親子丼やチキン南蛮など、食べるだけ食べてサッサと先に帰ってしまったが(-_-)

 

朝からケーキを食べてしまった。
昨日奥さんがケーキを買って帰ってきたようで。
朝から、「ケーキ食べたい。昨日自分の分は食べちゃったから、とーるくんの分、今食べない?」と、ご提案頂いた(お、俺の分まで…)。
私は昨日が2食だったので断食する気満々でいたのだが、仕方なく付き合ってしまった。
もう今日は断食する気が薄れてしまっている。
午後の税理士さんとのミーティング後、何かたべようか。
持ち直すか。

マスタークラス最終日も近づいているので、引き締めておかないとスーツが際どい。

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toru-imizu

関節エステプロフェッショナルアカデミー代表の射水徹です。

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