花谷先生に治療コンサルをお願いしました。

日常

不出来の直視こそ。

昨日は花谷先生に治療コンサルをお願いしておりました。
4年振りです。
2回目の今回の方が、より具体的に問題点が明確となりました。

過去に何度も花谷先生の治療を間近に見る機会、また時に受けさせて頂く機会があり、ずっと不思議に思うことがありました。
花谷先生の治療を見ていると、「スッスッ」と軽い感じで流しているような手の運びに見えるのですが、実際に治療を受けさせて頂くと、決して流している感じがなく、しっかりとした一定の圧力があるのです。
そのギャップが不思議でなりませんでした。
私が真似をしてやろうとしても、圧のバラつきや同じようなスピードではとてもできないのです。
昨日の最初のご指導で、その「奥義」をまずは知ることができました。
ただその奥義は、既に何度も花谷先生が、我々にご指導して下さっているコトそのままでもありました。
ご指導して頂いていることを、私が取りこぼしているだけなのです。
でもそれも、一定の取りこぼし期間を経たからこそ、気づけたのだと感じます。
修練とはそういうことなのだと思います。
一夜漬けとはいかないのです。
一流を修得するということは、常に疑問に思うことを考え続けない限り、その差は埋まって行かないのです。
「同じようにやる」ことの難しさを体感できました。

今回治療コンサルに臨むにあたり考えていたことは、「プロに対して、『普段使っている治療中の言葉』が通用するのか?」ということです。
患者さんには、「頸椎のズレが~」や「胸郭の動きが悪いから~」などサラッと伝えている言葉も、花谷先生を前にしてその言葉での診断が通用するのか。
プロ同士の、より深い視点、より深い言葉はないのか。
我々治療家のほとんどは、「プロ同士で素人用語を話している」とも言えるのです。
コンサル前の1週間、あらためて花谷先生のセミナーレジュメを見返していたのですが、すべて言語化されていることの凄さに気づきました。
先生の定義を読むと、これ以上にないコンパクトな言葉でまとまっているのです。
それでも、自分でひとつひとつ定義付けしていかないとなりません。
表面的に真似しても、やはりそれは自分の言葉ではなく、故に言葉に力が出ないからです。
合っている間違っているではなく、治療とは、痛みとは、治るとはと言った言葉の定義付けが必要なのです。
できる先生とは、自己の深い部分から出てきた言葉を持っている先生だと感じております。
できる先生に施術を見て頂かない限りは、絶対に施術の修正はできない。
長嶋監督の「バッ」「ザッ」「ブンッってやればいいんだよ」では、天才でない限り無理ですね。
治療コンサルでは私の問題点がすべて言語化されました。
その言語化して頂いたことをひとつひとつ体感させて頂けるので、修正すべきことが山盛りです。

「言葉のある治療家に必ずなる。」

昨日の治療コンサルの帰り道にふと思ったのか、スマホのメモに入っておりました(二日酔いで帰り道の記憶が微妙にありません…)。

技術面のみならず、経営面の問題も自分では気づかない視点を頂き、あっと言う間にクリアとなりました。
リスク最小限で最大効果が実現しそうです。

上原先生にもたくさんの患者さん視点を頂きました。
普段から花谷先生の治療を受け、また治療をしている上原先生だからこそ出てくる言葉です。
頂いた言葉のひとつひとつを大切にしたいです。
ありがとうございます。

コンサル後の懇親会もご馳走様です。
はじめて行く、とても店員さんの接客が気持ちの良いお店でした。
久し振りに、美味しく、楽しいお酒を飲みまくることができました。
帰り道の記憶がさっきまで微妙に飛んでおり、徐々に思い出してきた状況であります。

今日は1日バーンアウトして、明日の治療から学んだことを実践して参ります。
とにかく身体に完全インストールできるまで繰り返し、無意識レベルで当たり前になるまでやり切ります。

月末にはBSもありますし、来年の大型セミナーも必ず切符を勝ち取ろうと思っております。
今後ともご指導ご鞭撻のほど、宜しくお願い致します。

P.S.
花谷先生が、「ブログ用に写真撮っておけば」と(笑)
有り難い限りです。
写真の通り「グーパンもの」ではありましたが、自分の不出来を自覚できる場があることが有り難いのです。
私が良くなるためだけに、時間を費やして頂けるのです。
多くは自分の不出来を直視できずに終わります。
不出来を見ることを恐れるからです。
私はこれからも不出来を直視することで、人間としても成長していきます。

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toru-imizu

関節エステプロフェッショナルアカデミー代表の射水徹です。

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