仕事の概念は、幸福や愛と同じことなのだ。

日常

気概は、仕事で育まれる。

花粉症になると良く解る。
マスクなど効果は皆無に等しいと。
鼻にティッシュを詰めているのが、最も楽。
すすらなくていいし、たまに交換する際に鼻をかむとスッキリする。
そしてまた詰めるのである。
マスクは鼻ティッシュを隠すために意味があるのであって、マスク事態に効果はほぼ皆無です。
これは断言しても良いのでは。
もちろん、スパコン富岳による検証があるわけだが、机上の空論に過ぎない。
7割防げると言っても、その3割がバシバシ入って来るわけ。
で、その3割で十分に辛いわけ。
理論よりも、実態こそが、科学です。

花粉、本当にツライです。
鼻水は滝のようだし、くしゃみも出る。
目はかゆくて仕方ないし、喉までかゆい。
先程ちょっと郵便局へ行ったらもうキツイ。
郵便局で待っている時、鼻のムズムズでティッシュがいくらあっても足りない。

花粉など構造がデカイわけで、それさえもスイスイ入ってくるのに、ウイルスという超極小なものをマスクを二重にしたところで効果などない。
もうこの2年で、俺たちはとっくに散々吸い込んでいるわけ。
花粉症の人なら解りますよね?
マスクを二重にしたところで、花粉症はツライだろ?(笑)
やったことないですか?
私はコロナ以前に試したことがあるが、耳が痛い上に苦しいし、花粉除け効果もまったく感じないからとっくに止めた。
目だってこんだけかゆいのだ。
ウイルスなんて散々目から侵入してることだろう。
それでも何故、この2年お陰様でやって来れたのか。
生まれてから今日まで、さまざまな黴菌、ウイルスのお陰で培ってきた免疫が機能しているからだろう。
要は肉体の毒のお陰で身体が強くなり、今があるのだ。
花粉はその免疫の過剰反応なわけだが、それはやはり現代というぬるま湯に甘やかされて生きて来た代償なのだろう。
私はそう思っている。
私は我儘放題に今日まで来た。
その代償としての花粉症なのです。

一番明らかな効果を実感できるのは、「ワセリンを塗って鼻ティッシュしてマスク」です。
それが現実です。
きっと花粉症のお仲間は、皆さん共感してくれるだろう。
鼻ティッシュ、楽だよね!!

不織布マスクでもスッカスカの「通り放題抜け放題」なのだから、通気性の良いスポーツマスクや布マスクなど、さらに意味がない。
他人の目から身を護ることだけに効果がある。
それだけのことです。

世界はどんどんワクパスなどの規制が解除されてきている。
日本よりもよっぽどオオゴトになったヨーロッパやアメリカもだ。
ようやく、ウイルスを受け容れる体制に世界がなってきた。
当然のことです。
アクリル板でウイルスを避けられるなら、どうして花粉は避けられないのだ?
縦横無尽に室内に入ってくるのです。

インフルだって、ワクチン打っても掛かります。
ワクチン打ったら大丈夫ということはないのです。
それは最初の2回のワクで解った事実です。
当時、多くの専門家が言いました。
「2回打てば終わる」と。
テレビで散々言っていました。
そのことを忘れたかのように、「3回目を打てば」に言葉が変わりました。

で、次は?

もういい加減受け容れたら良いのです。
受け容れないから、学ばないのだ。
同じ過ちを繰り返す人のことを、なんと言うか忘れたのだろうか?

専門家も「解らないものは解らない」と言えば良いのです。
ちゃんと、どういう効果が期待できるのかだけでなく、その裏側にあるどういうリスクがあるのかまで公開して、各々に選択を迫るのが本筋では。
日本はいまだに規制をかけたくて仕方がない。
一部の我と利が大部を占め、義を失った。
それもとっくの話。
そんなことをいくら叫んでみても、御上は変わるわけがありません。
だったら、下々がきちんと目と耳と心を開き、ひとりひとりが考え、変わるしかないのです。
他人は変わりようがないのだ。

ホント、ク〇番組観てるくらいなら、昨日の動画の中にある本の一冊でも読んでみれば良いと思います。
CMでも流れているように、国を挙げて医療を斡旋するのは何故なのだろうか?
本当に、国民一人ひとりのことを考えてのことだと思いますか?
どうして、コロナで死者がまったくでなかった子供たちにワクが必要なのでしょうか。
それもまだまだ治験中のものをです。

海外のオープンニュースで、ファ〇〇ーの社長がメディアを通じて言っておりますよ。
ニュースキャスターからの、「あなたはいつうつのですか?」の問いに、慌てたように、「私は59歳で、健康なので、そういう人には推奨しておりません」と。
そう。
「推奨しておりません」ですよ。
それを子供には推奨しているのです。
もう数か月経ちますが、これも普通にオープンなニュースとして私には入って来ましたが。

 

元気な人は無料の検査に並んでないで、仕事をすればいい。
己のすべきことに意識を向ければよい。

人間の身体って、どうすれば解毒作用が強くなるか知っていますか?
腸内細菌ってどうすると活発になるか知っていますか?
新陳代謝が円滑に働くために必要なことってなんだか知っていますか?

「気概」です。

気概を育むことです。
その気概が今は失われている人間が多いことが、最大の日本の問題なのです。
どうすれば気概が生まれるだろう。

「仕事」です。

自分の仕事の初心を思い出すことです。
または、子供の頃、どんな大人になろうと思っていたか、思い出すことです。
そこから、今の現状からできる仕事を、ひとつひとつやり切ることが、気概を育むのです。

ただ今はもう、仕事をしたくない人間が増えている。
それも良いのです。
それも、その人たちの役割だから。
その分、気概ある人間が立ち上がれば良いだけですから。
立ち上がる側でいましょうよ。

気概が腸内細菌を活発にすることはすでに証明されている。
大病したことで死を見つめ、それをきっかけに自分の使命に気づき、その使命に体当たりしてきた人間の病がどんどん治癒していくことがある。
「病は気から」と言いますが、その「気」のことを、昔は「魂」とか「霊魂」と言ったのだと、以前ブログに書きました。
https://wp.me/p97NB1-5jV
仕事をすれば壁にもぶつかりますが、だからこそ、自己を振り返り、乗り越え、気概を育むことができる。
仕事というのは良い事ばかりではない。
イラつくことも、悲しいこともあるだろう。

だから良いのだ。

うまく行かないことに直面するからこそ、生命は躍動するのだ。
本来はそうなのだ。
今はうまく行かないことでポッキリ折れる。
でもこのブログを読む人たちは、おそらく躍動組でしょう。

折れる人は折れる人たちにその役割を任せるしかないのです。
こればかりは仕方がない。
折れてる人間を、「お前そんなんじゃ駄目だ」と言っては駄目なのです。
他人など変えられない。
それよりも、目を向けるべきは自分のすべき仕事です。
仕事は誰かを救うためにある。
仕事の概念って、幸福や愛と同じでしょう。
要は、自分に向けた言葉ではない。

「自分が幸福になりたい。」
「自分が愛されたい。」

そう言う現代的な間違った幸福や愛は、幸福や愛ではない。
それをただの欲望と呼ぶのです。
自分が幸福になりたいという人は、総じて折れる側の人間です。
幸福とは、「他者に対する概念」なのです。
「誰かの幸福を願う」ということなのです。

それって、俺たちの仕事じゃないですか?

俺たちの仕事、治療家やエステってイイ仕事だと思いませんか?

もちろん大変ですよね。
だから良い仕事なんじゃないですかね。
楽な仕事ってなんでしょう。
そんなものは本当はひとつもないのです。
楽な働き方があるだけで、本当は世の中にある仕事のすべて、「気」を入れて臨めばそれが気概となるのです。

初心を思い出そう。

 

余りの花粉の辛さに耐え兼ね、1時間ほど前に薬を飲んだ。
ようやく、鼻が楽になる。
目のかゆみだけなら、まぁ耐えられる。
明日からは薬を飲んで仕事です。
あとしばらくはノーコンタクト生活です。
目がかゆくて、コンタクトは無理だ。

P.S.
これから場所をソファに移してもうひと仕事します。
やるぞ!

P.S.2
気概を育む。
あとはやっぱり良書に触れることだ。

人間の魂だけは、無限に進化できるのだ。

セミナー情報など配信しています。
お友達登録宜しくお願い致します。
友だち追加

 

 

toru-imizu

関節エステプロフェッショナルアカデミー代表の射水徹です。

関連記事