「人間のため」という言葉を、信じてはならない。

日常

はじめて民主主義を打ち立てたソロンの言葉

数日前の話だが、「基礎疾患のない限り打って欲しい」と秋田県知事。

https://news.yahoo.co.jp/articles/65ef3781cff0ecbcbdd1b39fa7cd364c3e9a6f57

多くの人はこの発言をスルーできるのだろうか?
俺には謎だ。

今まで散々、「基礎疾患のある人」を最優先に誘導して来たことを、彼ら自身が忘れてしまったのだろうか。
散々メディアを通じて、「基礎疾患のある人は打ちましょう!」と散々煽ってきたではないか。
子供のことになった途端、「健康な人は打ちましょう」って、もうおかしいだろ。
なりふり構わずとは、こういうことを言うのだろう。
どうかしている。

「知事よ。君が最も困ったちゃんだ。」

同様に、宮城県知事も、「健康な子供はできるだけ打った方が良い」と言っている。

以前のブログにも書いたが、ファ〇ザー社長は「私のような59歳で健康な人には推奨していない」と公言している。
ニュースキャスターからの、「あなたはまだですよね?いつ打つのですか?」の質問に「アタフタ」しながら答えている。
その動画は今もツイッター上で見れますが、あまりの動揺の仕方に笑ってしまう。

上記、日本の知事たちは、本当に健康な子供たちに必要だと思っているのだろうか。

本当に何も知らずに言っているのか。
だとすれば、その周囲も悪い。
もっと世界がどうなっているかを見ればいい。
世界と言わず、日本の現状だけでも解るだろうに。

または、解っていて言っているのか。
守りたい築いてきた立場もあるのでしょうけれども。
自分の立場を守るために魂を売るのか。
いつの時代もそういう人間はいるものです。
これだけ平穏な日本で、何をぬかすかと思う。
情けない。

 

そんなに「子供子供」と言うのなら、呑気に東京走らせている場合なのか。都知事。
都知事は4回目も視野に入れていると以前言っていなかったか?
どっかのノーベル賞の人が言ってませんでしたっけ??
「ノーマスクで走っている人は、バラまいているようなものだ」と。
アホらしくてどうしようもないその発言も、今は「そうなのね」と簡単に受け入れられているのだろうから、恐ろしい。
それでいて、東京マラソンはやるわけだ。
結局、金だろ。
いっそ、「もう呼吸するな」と言えばいい。

 

子供を巻き込むのは止めて頂きたい。
大人だけで十分だ。

だいたい、何度も書いているが、国を挙げて、メディアを通じてひとつの医療をここまで斡旋するのは完全にイカレてる。
これを医療ファシズムと言わず、なんというのだろうか。教えてくれ。
たまたまTVをつけたら、CMまでしているのね。
やりたい放題し放題だ。

 

この手の話は必ず、「周りの人間のためにやりましょう」と来る。
そういう人たちの大好きなワードが、「思いやり」だ。

これを全体主義というのだ。
今は皆さん解らなくなってしまっているけれども、そういう輩は「○○のために」と言って近づいてくる。
綺麗で優しい、うわべだけのフワフワした言葉で。

困っている人のために。
人類のために。
お子さんのために。
お年寄りのために。

そういって近づいてくる奴は100%嘘をついている。
だったら自分が黙ってやれば良いのだ。
自分だけがやればいい。
人に同意を求めるなと言いたい。
「人間のため」が、最も胡散臭いのだ。

 

ギリシャ社会で初めて民主主義を実行した、ギリシャ七賢人のひとりに、「ソロン」という人物がいる。
ソロンは、「我々は人間なのだから、人間のことを思わなければいけないと言う人たちに従ってはならない」と、言っている。
それが、はじめて民主主義を打ち立てた人物の言葉です。
古代の深い深い叡智です。

「人間のために」と言ってやっていることは、「すべて嘘」と解らねばなりません。
そういうことが、もう我々現代人は完全に麻痺している。

綺麗な聞こえの良い言葉で溢れている。
本来嘘くささがすぐに伝わるハズだが、もう麻痺していて解らなくなっているのだ。
だから「おじいちゃん、おばあちゃんのために打ちましょう」と、弱い者を楯に近づいてくるのだ。
恥を知れと思う。

 

我々は人間なのだから、人間のことを思わなければいけないと言う人たちに従ってはならない。 ソロン

民主主義を最初に政治手法として行なった人物の言葉です。
忘れないで欲しい。

知事には良く考えて頂きたいものだ。

 

P.S.
「先生、運動した方が良いですか?」
「先生、歩いた方が良いですか?」

いつも、「別に無理してしなくていいよ」と答えている。
本当にそう思うからだ。
「した方が良いですか?」という程度のことをしている暇があったら、本当にやりたいことを夢中になってやればイイと思うのだ。
「やるな」「やってはダメ」と言われてもやってしまうことをやれば良いのです。

「〇〇した方が良い」という程度のことは、人生の無駄遣いです。
無視すれば良い。
本質的には、あなたの人生にまったく必要のないことだ。

「打った方が良い」というのも同様。
その程度のことなのだから、迷うくらいなら打たねば良い。
打ちたい人が打てばいい。
打って安心する人のためのものなのだ。

「周りの人間のために」という人を信じる必要はない。

そう言って近づいてくる人に、あなたのことを本当に思っている人はいない。
俺が断言する。

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toru-imizu

関節エステプロフェッショナルアカデミー代表の射水徹です。

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