人間として死ぬために、精神を立てるために、死をも厭わぬ崇高な人間がいたのだ。

日常

現代は「人間とは肉体である」という社会。

コロナ社会。

オーストラリアはデモが凄いことになっておりますね。
ワク義務反対で職を失った人も多いと報道。
ウクライナでもワク義務化の抗議デモ。
日本はこうはならないだろうな。
右と言われたら、ハイハイと右へ。
左と言われたら、ハイハイと左へ。

世の中を見ていると、いつの間にやらヘンテコなルールが出来上がりました。
誰も歩いていない外でもマスクをしなければいけない。
カフェ内では外しても良い。
車の中では外して良い。
自転車乗る時は別に外しても良い感じ。
マスクをしないでランニングをしている人は変な目で見られる。
昨夕、「オイ、マスクしろッ」とオッサンに怒鳴られている女性を見かけた。

そんなに嫌なら、外を歩かなければ良いのに。
男が小さいことでごちゃごちゃ言いなさるな。情けない。
心の声だ。

銀座のビアホールなんて満席で飲み食いしているのに、店を出た途端にマスクをして歩く。
異常ですよね。
その異常を徐々に異常とは思わなくなっていくのが人間です。

 

ドトールに入店する際、これでもかというくらい消毒液を刷り込んでいる人もいます。
わざわざ退店する際も刷り込んでいる人もいる。
世も末ね。
大丈夫なのだろうかと思う。
俺はできる限り消毒液に触れたくないけれども。これ以上。

こんなことで2年が経とうとしているわけだが、すでに怖いのはウイルスではなく、人の目です。
この2年の歳月が、「コロナとは」の答えを十分に出してくれているだろう。

すでにマスクは人の目から守るためのモノでしかない。
マスクを外したくない学生さんが増えているそうです。
表情が解らないことは、気楽なのだそうな。

マイルールから外れた人間を、「あーゆーのがいるから」という目で見る。
昨日のように怒鳴るオッサンも出てきた。
当院に通う方も、ノーマスクランニングで怒られたと言っていたから、増えているのかもしれません。
実際いろいろな方と話していると、そういうことを言う方もいる。
「ねー、先生!マスクしないで歩く人とか信じられない!!」と。
「・・・」となってしまうのだが、「うーん、そーねー」と合わせて流して終わりです。
石鹸で肘辺りまで15秒すすいでいる人なんて本当にいるのかねと思う。
無菌で暮らせば免疫など不要です。

 

今まで散々コロナ恐怖を煽ってきた専門家と言われる人たちも、ここ最近は、「過剰な対策は止めましょう」と言い始めた。
国の方針が変わったのかね??
ようやく終える方向か??
「どこかのビルさん」もそんなことを言い出したので、そうなるのだろう。
実際これまで全て、気持ちが悪い程言った通りになるのでね(笑)
ダブリューエイチオーさんもそんなことを言い出したので、終わ(え)る方向なのだろうな。

早く2類を5類にしていれば思う。
ただそれも、終わらせたくないのだろう。
ワクも、散々打っている国で感染が広がっている現状。
実際のところ、コロとワクのどっちの問題が大きかったのかも、世界を見ていれば一目瞭然な気もするのだが。
ただ興味がないのか?見たくないのか?
まもなく全世界70%達成とのことで、ノルマ達成で大満足と言ったところなのだろうかね。
実際日本などこの2年間、いまだ一度たりとも流行っていないのだから、よくまあここまで恐れるなと逆の感心をしてしまう。
今日もドトールに行ったが、みんな普通にマスク外してコーヒー飲んでるじゃない?(笑)
それで良いのではないか?
何が悪いのか。
ドトールを出る際、ノーマスクで歩いたら、それは罪なのだろうか?
それで本当に感染がどうのこうのなるのだろうか?

ウイルスなど始まったら人間の手には負えません。
それは普通のこと。
それが解らないことが人間の傲慢なのです。
「ウイルスをゼロにしよう。」
馬鹿なのか?
本当にウイルス研究をしている人がそんなことを思うだろうか?
ソーシャルディスタンスという言葉も一人歩きし、今では誰もが当たり前に使うが、ドイツでは警官が大きな定規を持って人の間隔をとる映像が流れている。

馬…

 

以前、「ワク打ったらクーポンあげる」とかもありましたよね。
アレも発想自体が、相当幼稚レベルだよね。
これできたらお菓子あげるみたいな話だろ?(笑)
考える方もアレだが、それに乗る方もアレだわな(笑)

 

2年間ずっと思ってきた。
射水のこういうのは、別に今に始まったことではない。
それに、本当はそう思っている人もたくさんいることは知っている。
言えないだけ。
空気が言わせない。
言う方が馬鹿だからね。

この世を上手く泳ごうとすれば、自分の人生を生きられないのだと思う。
後ろ指刺されても、自分の精神に真っ直ぐで在り続けたいと思う。

 

結局、現代は「人間とは肉体である」という社会なのです。

何よりも肉体が大事。
何よりも命が大事。

少なくとも、明治維新辺りまでは、「人間とは精神」だった。
人間とは魂だった。
人間として死ぬために、精神を立てるために、死をも厭わぬ崇高な人間がいたのだ。
そういうことに憧れを懐いたのだろう。
今はそんな人間は不合理な馬鹿者扱いだろうけれど。

物質主義は人間の定義を変え切った。
もちろん、明治にも肉体が大事だという人間もいたわけだが、岡潔の書を読む限り、「話は通じた」のだろう。
今は「人間とは精神である」と言ったら、「え???何言ってるの????」でしょう。
まったくもって理解できないかと。

その証拠に、「この腰痛は、首からですか?骨盤ですか?」と聞かれませんか?
または「筋肉がないからですか?」「運動した方が良いですか?」と。
要は人間を肉体だと思っているということです。
「これは完全に精神の歪みですね」なんて言おうものなら、「は?この先生ヤバイわね」です。

でも、本当はそっちでしょ?
私の左肩こりや胃痛など、完全に精神ですから。
おそらく、明治までは腰痛になったら、自己を省みたのではないだろうか?
胃痛になったら、自己を省みたのではないだろうか?
「この腰痛は首から…」と言う人、明治にも居たのかね?(笑)

良くも悪くも、コロナは崩壊を速めた。
というより、既に崩壊している。人間がね。
でもそれで良い。
むしろもっと完全に行くところまで行ってもらって構わないと思っている。
同時に、復活も早まるのだから。

その時、自分は助ける側にいるか。

助けられる側でいるか。

自分で好きな方を選べます。

あなたはどっち側だ?

P.S.
今、世界はジョージ・オーウェルの1984そのままです。

ただね。
どんな世の中でも、俺は大歓迎ですよ。

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toru-imizu

関節エステプロフェッショナルアカデミー代表の射水徹です。

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