もう二度と、二日酔いなど馬鹿な真似はしないと、一応誓っておく。

日常

飢餓状態から目覚める内なる力

昨夜は23時前には就寝。
1日中寝ていたこともあってか、3時間毎に目が覚めました。
特に眠気もなかったのですが、起きて何かする気もなかったので。
水を飲んで寝ることの繰り返し。

昨日は最悪にツラかった身体が、絶好調に転ずる断食の力。
昨夜は一瞬なにか食べたい気もしたのですが(冷凍庫に昔かったアイスが…)、ここは敢えて我慢。

「明日の朝目玉焼き作って。あと、その時アイスも食べる。」

そう奥さんに伝えて満足して寝ました。
こうして朝を迎えてみると、別に食べなくていいなという状態に。
特にアイスなど、絶対にいらない。
身体が求めていない。
昨日は胃を冷やしたい気分だったのだが、その内なる熱が取れたのだろう。
目玉焼きはちょっと食べたい気もしますが、どうするかな。

現在、32時間の断食中です。
このまま昼まで行くも善し。
ここで止めるも善し。

 

 

いやー、身体が楽って素晴らしいッ!!!!

 

 

そして、「もう二度と二日酔いなどしない」と、心に一応誓ってみる。

 

それでも足首にはまだむくみがある。
調子が良い時は、母指と中指で一周握れるほど細くなるのだが、今日は握れない。
どことなく、まだ微妙な気怠さみたいなものがある。
肝臓のある右季肋部に指を入れ込むと、まだ固いし心窩部に放散する違和がある。
左腸窩部には便的な固さもある。
観察してみると様々な違和を見つけられるものです。

 

今はほとんどの人が食べ過ぎです。
食べ過ぎで五十肩にも腰痛にもなる。
栄養は摂ることも大切だが、それと同じように、低栄養状態に寛容であることも重要なのです。
飢餓状態から目覚める身体の内なる力の凄さは、測り知れぬものがある。

食えないと思えば死。
食わないと思えが生。

「え」と「わ」。
たった一文字で飢餓に対する身体の受け取り方が180度変わってしまうのです。

「食えない食えない」と思ってやる断食など地獄です。
精神を病むから止めた方が良いですね。

逆に「食わない」と決めた断食ほど楽しく、楽なものはない。

「どんどん身体が綺麗になっていく。」

そんな意識で過ごせます。

 

 

発熱も同様。
40度近い高熱が出る人は、それだけ体力のある証です。
要は健康そのもの。

逆に38度前半で止まってしまうような人は、発熱できるだけの体力がないのです。
またそういう人に限って発熱を即解熱してしまう。
せっかくの発熱は有効活用せねば、勿体ないのです。

38度前半で止まってしまう人は、しっかりとその発熱を味わう方が良いのです。
そうやって発熱体験を身に付けていくことで、徐々に発熱する力がついてくる。

以前、私がそうでした。
平熱が35度台と低かったので、37度台で死んでいた。
出ても38度程度でしたから。

いまは平熱が36.5度です。
直近の発熱は数年前ですが、その時はしっかり40度手前まで上がっている。
その時は、まるまる1週間熱が続きツラかったですが、解熱せずにただただ寝ておりました。
40度を越えたら、少し解熱剤の力を借りるつもりではおりましたが、結局使わずじまいです。
ちなみに、奥さんは平熱が37度近く、いつも40度を越えていきます。
40度出せる体力が羨ましい。
いつも解熱もせずにただただ寝て治しております。
2日も寝込めば38度台に落ち着き、その時点でもうかなり楽そうにしております。

ふつうの風邪やインフル、コロナであるならば「40度までは基本放置」という精神的余裕を持っていて大丈夫だろう。

まぁ、今の社会を見ている限り、日本人には無理だろうな。

 

風邪に寛容で在りたいものです。

 

P.S.
現代はあらゆる場面における「寛容さ」が失われたのだ。
昔のテレビは、今のYouTubeみたいなことを平気でやっていた。
喧嘩もしたし、汚い言葉も当たり前に使われていた。
差別はいけないと言うが、その差別はいけないということがまた新たな差別を生んでいるようにも感じる。
そのことに気づかないのも、感性が鈍り切っているからなのだ。
この潔癖社会の寛容性のなさ加減は、もうとっくに行き過ぎてしまった。

 

P.S.2
今日のランチはカレーか、麻婆か、それとも?

 

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toru-imizu

関節エステプロフェッショナルアカデミー代表の射水徹です。

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