痛みってなんだろう?

日常

毒を食らう人生が、善い。

「痛みってなんだろう?」

答え無き問と向き合うのが楽しいです。

痛みは嫌なもの。

そうかもしれないですが、痛みを忌み嫌うのはもったいないとも感じます。
私は痛みと付き合うのが得意な方です。
そして、意外と好き。
成瀬先生のヨーガとの出会いも大きいです。
痛みは結構楽しいものなのです。
(歯が一番死にますがm(__)m)

劇薬棚にあったロキソニンも、今ではふつうに市販されています。
それだけ我々が痛みに弱くなったと言えます。
不快は一網打尽にするが善いと思っている人も多い。
痛みと付き合う楽しさも本当はあるのですが、もうそんなことはふつう解らないでしょう。

不快なものを見れなくなった。
「付き合えなくなった」と言いましょうか。
不快なものを排除し、毒を避ける生き方が当たり前になりました。
それが良いこととされ、「行き過ぎてしまった」現実があることは、誰でも少しは感じてはいるのでは。
貝原益軒の養生訓を読むと、毒も食らうことが普通だったことがわかる。
肉体的にも精神的にも毒を食らわずに生きれば、その楽さ故に脆い人間となっていくのです。
いまは長生きが善くて、死が悪いものになってしまっているのも、不快を忌み嫌うことの行き過ぎ故です。
なんでもかんでも「治りますよ、大丈夫ですよ」という優しい言葉が称賛されるが、昔は引導を渡すということが普通の価値観だったようです。

「あなたはもう駄目だから、今のうちにやり残しを精算しなさい。」

そんな言葉を医師が伝えていた時代がある。
医師の役割だったのです。
逝く前に、近所の仲の悪かった人間を呼び、「悪かったな。私もいろいろと言い過ぎたよ」と関係を精算してあの世へ旅立ったそうだ。
死から、なにか温かいものを感じるところがあった。

現代の医師が「あなたもう駄目だから、近所の人に別れを今のうちに言いなさい。精算しなさい」など言ったら、「最低の医師だ」とメディアで袋叩きに合うでしょう。
言われた本人も、受け入れられないだろうから、大変なことになりそうだ。
本当の温かさとは、なんだろうか。

本当の意味での人との付き合いが失われつつある。
というよりも、完全に失われた姿が、今なのだと感じる。

痛みを極端に避ける、不快を極端に避け続けた結果です。
楽に溺れ過ぎたのです。
そういう側面があるという事実は、事実として認めないといけない。
私はそう感じます。

 

「痛みってなんだろう?」

痛みには涌くという字が入っている。
「自ずと涌いてくる」のが痛みと言えます。
精神的な痛みも同じ。
仕事を通じ他者と関わりながら世間を生きるということは、必ず痛みを伴うのです。
痛みは生きていれば、自ずと涌いてくるのです。
避けようがないもの。
その不合理を受け入れるのが生でしょう(執行草舟氏の書には、「受け入れる」では駄目で、「好き」になれと書いてあったが)。

その不快を排除しようと思えばいくらでも方法はありますが、どれだけやっても達成されることはありません。
最後までなくならないのが痛みです。
生きる上で痛みは必要不可欠なものなのです。
不快を楽しめなければ、生き辛い。
「不快を楽しむ」とは、生により生ずるあらゆる痛みを受け入れる(好きになる)ことにあります。
逃げの発想では、湧き起こる痛みに飲まれます。
今は誰もが飲み込まれている。
飲み込まれ過ぎではないでしょうか。
なにごとも、逃げ過ぎなのだ。
だからマスクもなくなるのです。
異常としか言いようがない。
何故、五反田からマスクがなくなる必要がある!?(スマン熱くなった)

 

本来痛みを通じて、自分の生活を見直すことが養生の始まりでした。
今は不快症状さえ消えれば良いということで、薬を飲む。
薬が悪いのではなく、薬を活用しながら養生していく心がけが、本来は必要なのです。
クスリで痛みを消す発想から、クスリで痛みを抑え、うまく活用しながら己を見直す。
見直すから、治るのです。
そうやって養生の心がけから、精神も培われていくのです。

痛みは、直れば治るということです。

直るために、痛みがある。
痛みが治る過程において、悼みが必要なこともある。
悼む気持ちが、人を癒すからだ。
癒された人は直る。
故に治るのです。

健康法も逃げの健康法が主流です。
無農薬、無添加、それはそれで価値のあることですが、今は添加物など避けようもなく入っているのが当たり前です。
毒も喜んで喰らえば良いのです。
私は今、セブンのから揚げ棒食べたよ。

自然のものが良いと言うけれど、自然なものには必ず微量ながら毒が含まれる。
ヒ素ですら極々微量ながら、人体には必要不可欠なものなのだ。

 

と、もうすぐ花粉症が始まるというのに、マスクを買いに行ったら噂通り売っていなかったのだよ。
私は思った。

「花粉なんてただの生命ではないか。」

今年はマスクしない。
ムカついたから。

P.S.
人生100年時代と言うけれど。
今は長生きすることだけに価値を持たせ過ぎた。
本当に大切なことは、どう生き切るかだ。
昨日、私の大学仲間のグループLINEに、同級生が亡くなった知らせが届いた。
私はその同級生がどういう人か実はまったく知らず。
正直、顔も微妙に思い出せない。
イメージはなんとなくあるだけ。
名前は友がよく口にしていたから知っている。

「早過ぎる。」
よく聞く言葉ですが、彼女がこの40年をやり切ったのであれば、最高の人生だったのだと思う。
今はこんなこと書いたら怒られるだろうけども、愚痴や不平不満を100年ダダ洩れしている人生より、よっぽどイイ人生を送ったと思う。
きっと彼女はしっかり生き抜いた人だと思っている。
俺の友達と関わっていた人なのだから間違いない。

【大学の卒業式です。一応全員、いまは元気ではある。】

ご冥福をお祈り致します。

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toru-imizu

関節エステプロフェッショナルアカデミー代表の射水徹です。

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