気持ち悪さから逃げるのではなく、正面から喰らい、もっと強く逞しく生きるのだ。

日常

こんなつもりでなかった休憩時間のつぶやき。

 

もはや「極悪人」にしか見えないのだが…

世界を見ればすでに答えが出ている中、日本はいまだにマスクだワクだと言っている。
3月何日からか「外していいよ」とかニュースになっているようだが、そんなことをわざわざ許可を得なければできない程に、精神が虚弱化しているのだ。

電車の中ではほぼ100%の人間がスマホを見ているが、この数年間、一体何を見て来たのだろう。
マンガとゲームか…

隣国は言論統制があり可哀想。
いやいや。
この国の言論統制もまったくの同様です。
本当の情報などテレビには流れておりません。
金のためなら魂など簡単に捨てれる連中ばかりです。

あらゆる出来事は金の流れを追えば、「なんのためのソレ」かが見えてくる。
少なくとも、「国民のため」などあり得ない。
今年の秋冬に、「全国民にもう一発機会を与える」というニュースも出ていたが、そんなものはやりたいやつだけでトコトンやってくれればいい。
俺の分は遠慮なく、上の動画のオジサンやオバハンに分け与えてあげるよ。
思う存分にやって頂きたい。

実際のところ、厚生省の人はどれほどやったのだろうか。
そして、政治家は?

おそらく、ほとんどやってないんだろう??
もちろん、私の勝手な予想です。
もう誰もが様々な動画を観ていると思うけど、実際その件の話になると、関係者の歯切れの悪さが際立つだろ??
それが答えだろ??
自分がやらないものを他人にやらせるなど、ハッキリ言ってイカレております。

 

日本では、こういう件に関しては黙っているのが大人であり、良識ある人という雰囲気がある。
本当にそうだろうか??
そんなだからいいようにやられちゃんんだろうな。
平和ボケ国家です。
すでに日本は外国ですが、数年後には、この国は完全な外国になっているんだろうな。
このままなら、行くところまで行き切るだろう。

本当にこの方々が「デマ」を言っていると思うのだろうか。

この討論の長編も観たが、終始、口をゴモらせているのは厚生省サイドです。
結局、嘘をついている側、後ろめたさのある側というのは、歯切れが悪い。

 

初期の初期の動画だが、この動画の最初の「はじめさん」の演出もキモチワルイだろう。
こんなお遊びのような演出、ふざけた演出ができるほど、余裕なんじゃないの??
本当に本気の事象であれば、こんなおふざけはしないだろう??
要は、舐められてるのだよ。
コイツらには面白おかしくエンタメちっくに見せて置けば広がるだろう。
そんなところだ?

さらに内容を見れば、一体どちらが「デマ」を言っているのだろうかと疑問が生じる。
一目瞭然ではなかろうかと。
それを大臣は彼らを「デマゴーグ」扱いで終わらせる。
無責任にも程があると思って見ている。

 

現在カフェで仕事中だが、誰もマスクなどしておりません。
席を立つと同時に、おもむろにマスクをつけ始めるのが謎である。
外の方が空気が新鮮だろうに。
いい加減、席や受付にセットされている仕切りも、ウイルスを舐めているのかとしか思えない。
もし空間を可視化できる何かカメラがあれば、我々の生きているこの空間など、あらゆる病原菌やウイルスに溢れているだろう。
トイレなんて当然そうなわけで。
むしろそうだからこそ、免疫も強く保てて今日まで生きて来たのだろう。
この馬鹿げた茶番を終わらせたくない甘々の密を吸い続けた人間にとっては、一生引っ張り続けたいのだろうな。

100年後のこの国はどうなっているのだろう。

縄文時代の歴史からしてとっくに覆っているのに、いまだに教科書では「遅れたおサルさん」のイメージの縄文時代だ。
縄文文明は3万8千年前から進んだ文明を持っていたことが明らかとなっている。
3万8千年前と言えば、以前読んだ「エメラルドタブレット」の時代とすら被ってくる。
それくらい古い文明をこの国は持っているのだ。
世界のどこよりもすでに優れた文明を持っていたことは明らかなわけだが、そんな歴史も覆っては不都合があるのだ。
それもすべて戦後教育によって隠された事実がある。
100年後も、権力によって現在のこの情けない有り様が正しいのだと、事実は覆い隠されるのだろうか。

いまだマスク社会で、世界からは笑いものとされている有り様の我が国日本。
同調圧力というのは本当に凄いですね。
もう一生外せない人もいるだろうなと感じる。

イイ人ばかりの世の中は気持ち悪いですね。
我々は、その気持ち悪さから逃げるのではなく、正面から喰らい、もっと強く逞しく生きるのだ。

私はそう感じる。
どんな日本だろうが、愛すべき生まれ故郷であることに変わりないのだ。

 

本当はこんなことを書く気もなくPCを開いたのだが。
ついつい、ツイッターに引っ張られてしまった。

 

執行社長の著書、「人生のロゴス」の中に、リルケの言葉が紹介されている。

一度の春、あゝ、たった一度の春でいいのだ。
それでも私の血には豊かすぎる。

この項の執行社長の一文に、途轍もない力を感じた。

我々は、一度だけ生まれた。
そして我々は一度だけ死ぬのだ。
その宇宙的奇蹟の「間」に、我々の生の時間がある。
一番大切なことは、すべて一度なのだ。
(中略)
生まれそして死ぬことは、すでに奇蹟である。
だから私の人生の時間には生の奇蹟が一度は必ずあるのだ。
その運命に向かって、私は体当たりで生きる。
リルケの憧れと共に、私は信じて生きる。
http://www.shigyo-sosyu.jp/zayumei/z55.html】より抜粋

たった一度の束の間の生を全うして死のう。
我々にできることは、それだけなのだ。

P.S.
ブログは休憩。
さぁ、仕事するぞ。

セミナー情報など配信しています。
お友達登録宜しくお願い致します。
友だち追加

 

 

 

toru-imizu

関節エステプロフェッショナルアカデミー代表の射水徹です。

関連記事