「時代のすべての異端児たちへ」に痺れた日

日常

思い込みを疑え。

人間とは何だろうか。
生きている我々は、生きているだけで人間なのか。
だとすれば人間は何をするため存在するのだろう。
人間なのであって、何故「私は動物です」とは言わないのだろうか。
人間と動物の違いは、何。
子供に聞かれたらなんて答えますか。

 

今は科学に使われる人間ばかりになってしまったように思う。
今は科学が宗教となった。
本来科学は道具のハズだった。
ノコギリやトンカチと同じで、人間がそれを利用して生活に活かすもののハズだった。
でも今は違う。
科学に使われてはいないだろうか。
科学的と言えば、それがすべて正しいかのように錯覚している人も多く見える。
これは大きな間違いなのだ。
科学に価値がないということではない。
ただ科学は必ずひっくり返るということも、同時に解って使わなければならない。
今、天動説を唱える人はいないだろう。
ダーウィンの進化論も科学でもなんでもなく、あれはひとつの仮説に過ぎないのだ。
今では知っている人も多いが、下等な種から高等な種へと分岐することもそもそも間違いなのだ。
「過去の人間より今の人間の方が常に優っている」という考えが進化論です。
ダーウィンが悪いということではなく、「そういう考え方もある」と説いたということです。

現代人の方が優れている?

はたして、我々現代人はそんなに素晴らしい世を築いているのだろうか。
その傲慢は、何処から来るのだろうか。
毎日の世相を見ていると、傲慢な人が傲慢な意見を傲慢に振りかざしているようにしか思えないのだ。

 

今日、バックヤードの奥の奥から出てきた本がある。

凄く懐かしく、また、震えた。
2013年から2014年にかけて、常に持ち歩いていたと思います。
開くと私の汚いメモ書きがアチコチに書いてありました。
「自分がセミナーをやる意味は?」と書かれていた。
一気に読み返してしまった。

超訳なので読みやすいわけですが、吉田松陰の言葉に触れ、なんとなく現代の様を考えてしまった。

P.S.

人の解釈を聞いて、自分もわかった気になってはいないでしょうか。
たとえ信頼に足る人物の解釈だとしても、それも思い込みのひとつです。
思い込みは無数にあります。
どれを選択するかは、あなたの自由です。【162頁「思い込みを疑え」より抜粋】

「思い込み」は「歪みの一形態」です。

私はまだまだ思い込みだらけです。

P.S.2

2016年からこの本に恋をして、今日まで読み続けております。
良い本は、力になる。

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toru-imizu

関節エステプロフェッショナルアカデミー代表の射水徹です。

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