睡眠とは、将来死ぬための訓練である。

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もう一歩進められることはないか?

1月に入っても施術以外のことがなかなか手付かずです…

早くも月末。
1月が終わってしまう。
毎日、完全燃焼しているだろうか。
今年に入り、自分に問うようになりました。

「もう一歩進められることはないか?」

自問自答しない限り、ただただ、毎日が過ぎてしまいます。
本当に今日を生き切っただろうか。

草舟チルドレンである私としては、社長のYouTubeは毎朝毎夕観ない日はない。

この動画を観て思うのは、毎晩の睡眠は、「将来死ぬための練習」なのではないかということだ。

毎晩「きちんと死ねる」こと。

それが「できない」ということを悩んでいることに、現代の「病の質」を感じる。
「毎晩きちんと死ねない」ということは、裏を返せば、「毎日きちんと生きていない」とも言えるのではなかろうか。

だから執行社長は、「死ぬほど働きなさい」と言っているのだと思う。
疲れ果てるまで働けと。
今日と言う日に、精一杯肉体を使い切れと。

死んだように生きていては、ご先祖様から授かった生に対し、申し訳が立たぬことを身に沁みて感じる。

と、偉そうに書いておきながら、今日は本当にやり切っただろうか?と思うのだ。

 

自分の中で最近捨てたことは、無自覚なSNS閲覧だ。
積極果敢なSNSはOKとしているが、そうでない寝転がってダラダラ観るのは意識して止めている。
社長が「起きたら寝るまで寝転がることはない」ということをYouTubeでお話されており、自分もダラしないのを止めたいと思った。

が。

これも気を抜くと、無意識に「ゴロンッ」としているから恐ろしい。
如何に、無自覚に生きていることかとm(__)m

西田幾多郎の「善の研究」の中に、「行為」についてが書かれている。

行為とは、その目的が明瞭に意識せられて居る動作の謂いである。
【中略】
動作が起こっても充分に意志がなかったならばこれを行為ということはできぬ。

それ以外は、「本能的動作」なのだ。

本能的動作で「ゴロンッ」人生では、どうも嫌なのだ。

弁えを持って生きたい。

 

P.S.
メディカルセミナーも残り3席のみとなった。
それにしても、Facebook広告の使い方に大苦戦の昨日であったが、一応できている様子。
どうも見ヅライ解りにくいのである。

 

今日は、ショート動画を撮りました。
サクサクッと。

「まぁ、これでいいか」と思ってから、「よし!もう一本撮っておこう!」と。

メイン動画が止まっているので、ショートで繋ぐ作戦だ。
治療院のYouTubeもついでに始める。
ただし基本ショートのみを、アカデミーと動画を両方使いするので手間はアップロードが増えるのみ。
楽しみながら、進んで行きたい。

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toru-imizu

関節エステプロフェッショナルアカデミー代表の射水徹です。

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