高松中学バスケ部の恩師と28年振りの再会

日常

バスケ部で良かった。

約30年振りに高松中学バスケ部時代の恩師との再会でした。
先輩と同期とも。

「うおーまったく変わらないね!!」

シマちゃんが、30年前とまったく同じ顔をしてそこにいた。
衝撃過ぎるくらい、同じ顔。

きむらの美人女将さんが、「え!そんな久し振りの会なんですか!?」と。
五反田で何か大切な会を開く時は、「きむら」で間違いない。
食事はもちろん、場が良い。
何を食べても抜群に美味しい。
焼酎ロックが進んでならない。

「30年振りって気がしないね。」

本当にそうで。
結構忘れているコトってたくさんあって、話ているといろいろ記憶が戻ってくる。

【みんな懐かしいな。再会を果たすまでは、この頃のまま時間が止まっております。】


【左射水、右阿部ちゃん。阿部ちゃんとは10年前に一度会ったが、今どうしているだろうか。】

【かるく酔っぱらっているのだろうか…】

引退後、恩師が俺たち全員を食事に(飲みに?)連れて行ってくれたっけね。
この写真を見るまでスッカリ忘れていたが、一気に思い出した。

良い時代だよな。
今じゃあり得ない(笑)

中学時代は、当時流行っていた「カクテルバー」をたまに飲んでいた。
酒も煙草も普通に買えた時代。
私は煙草はやらなかったが、酒はバスケ部の仲間の家に泊まりに行った時だけは、ほどほど飲んでおりました。

【赤い服のヌマの家で酒を覚えたようなものだな。中央右の恩師も若いなぁ!】

先生も当時は22,23歳だったんだよな。

初任で俺たちを指導してくれていたのだ。
当時は解らなかったが、先生も大変だっただろうなと、今にして感じる。
俺たちからすると「できる大人」にしか見えなかった。
さらに先生は人気者だったからな。

「先生に認められたい。」

そんな承認欲求に初めて苦しんだ中学時代でもあった。
多かれ少なかれ、当時のメンバーはそういうものをもっていたのではないだろうか(?)。
青春の一頁ですな。

 

バスケ部に入って最初にひと際存在感を醸し出していたのが、リョータ先輩だった。
まさに高松の切り込み隊長でした。
リアル宮城リョータのイメージ。
引退後も俺たちの最後まで一緒に練習してくれた。

「先輩覚えてますか!?」

「覚えてるよ!」

いやー、嬉しかった。
先輩も当時のままの顔をしていた(笑)

 

島兄は、バスケ部じゃなかったというのがビックリだ。
でも、よく一緒に練習していた。
当時から自由だな(笑)
いつの間にバスケ部にもぐりこんだというのか…
島兄とは結局朝まで私の治療院で飲んでしまった。
話の流れで施術して欲しそうな顔していたから、サクッとやってあげた。
島兄の性格の如く、自然に真っ直ぐな、熱い背骨をしていたよ。
背骨には性格がまんま出るからね。

 

次は当時の顧問ふたりにお声がけして「また会いましょう」ということになっている。
それも楽しみだが、同期はいまどうしているだろうか。

俺は連絡を取る手立てがないので、青ちゃんとシマちゃんに任せるとする。
元気にやっていればいいね。


【やっぱシマちゃん、変わらないな(笑)】

P.S.

バスケ部で良かった。

 

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toru-imizu

関節エステプロフェッショナルアカデミー代表の射水徹です。

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