今夜は花谷博幸先生の治療院経営勉強会です。

日常

安直とは、距離を置く。

今日は花谷先生のオンライン勉強会に参加します。
今年も、たくさんのアイデアと啓発を頂き、なんとかやって来れました。
2006年からですから、かれこれ14年です。

やっぱり勉強しないことには先がありません。
勉強しない人生は、単純にツマラナイのではないでしょうか。

仕事を愉しむ。
つまりは、人生を愉しむには勉強する以外に方法はないと、言い切れます。
仕事が「自分の時間」でなくなってしまった人が多い。
毎日たくさんの方の話しに耳を傾けていると感じます。
以前ブログにも書きましたが、「家族に時間を取られる」「仕事に時間を取られる」という(断固して言い切りますが)誤った考えのもと生きている人が増えた。
「家族との時間」「仕事の時間」こそ、生命活動をなす上で「最も大切な自分の時間」です。

今はお気楽、自由気まま、自分の好きなようにこそが「自分の時間」だと勘違いして生きている人が多いのです。
趣味などはあくまで趣味であり、人生において大切な時間にはなり得ないと言い切れます。
反対されてもそうなんだから仕方がない。
趣味がいけないと言っているのではない。
あって良いし、私にだってある。
でもそれが、生きがいにはなり得ない。
「家族のせいで趣味の時間が取れない」など、口が裂けても言うなと言いたい。
主に男性から聞く言葉ですがm(__)m
そんなにやりたいなら寝ないでやれば良い。

 

本気の交流がしたい。

「関節エステの理念」はなんだろうとずっと考えております。
何で関節エステを伝えているのだろうと。
やり方論も大切ですが、やり方論以上に本気の交流の場として在り続けたいし、そうでなければやる意味がないと感じます。
こういうことを書くと、「怖い」という人もいます。
それでも、そういう場であり続けたい。
それで継続ができないのなら、それはそれで受け入れます。

上手くやろうとすると、どうも本気の交流ができなくなる。
どうしても嘘が発生する。
受講生に好かれようとする。
旨く取り繕うことをし過ぎると、それが自分の中でエゴになり変わる様が解ります。
私のような甘い人間は、エゴなど簡単にニョキニョキと芽生えてきます。
その都度刈り取るようにしていますが、なかなか。
先日、香織先生とのミーティング後も、ひとり考えてしまった。

「俺がさっき話したことって、ただのエゴだったかなぁ…」

エゴイスト射水が湧いて来ぬよう、常に、監視しておく必要があります。

 

人付き合い、関係性を築くために言語がある。
その人との関わり自体が、関係を築くこと自体が、今は面倒と感じる時代なように感じる。
スマホは便利です。
SNSも容易に人と繋がれる(気がしてしまう)。
故に、関係も薄い。
言葉を失いつつもある。
関係というのは、やはり本気の関わりの中から生まれるものです。
言いづらいことを、どう言えばうまく伝えられるのか。
頭に来ることがあったとしても、「きっとあの人も大変な思いをしているのだ」と口に出さず吞み込めるのも人間だからこそ。
人間には言葉があるからです。
動物が頭に来たら、飛び掛かるだけだから。
思考はすべて、言語を通じて行っている。
嫌な人とは積極的に関われば良いと思います。
と言う、私に言えることですが。
逃げるから、また別の嫌な人が現れる。
嫌な人にも、どういう言語で伝えるか。
人間関係とはそういう中で育まれるのです。
その言語が今は本当に雑になっているように感じる。
雑さ故に、より拗れてしまうこともあるでしょう。
まったく違う人同士が関わるのです。
理解できぬ点を、どう理解しようかと苦悩し、言葉にする。
それが関係です。

自分の好きなもの以外は受け入れない。

それでは精神が育まれないだろう。
関係性を断つことは、本当に簡単です。
同時に、言語能力も失っていることに、気づかねばならない。

 

赤には50種類以上の赤が存在するそうです。
執行氏の著書を通じて知ったことですが、弁柄色、紅絹色、今様色、撫子色など赤にも物凄く細かい表現がある。
昔はそれだけ、赤を伝えるにも細かい感性が必要で、それが当然のことだったそうです。
展覧会などで、昔を生きた人の手紙などを見ると、表現がものすごく繊細です。
正直読めない。
この読めないということ自体が、雑さの中を生きてきた証だと感じます。
自分の想いを伝えるにも、昔はそれだけの表現力があったということです。

これ以上、「関わる」という「面倒とされていること」を失ってはいけない。
「関わる」ということは、生きる上で面倒なことなのではなく、至極当然のことなのだから。
どんな人と関わってきたのかが、ある意味自己とも言えるだろう。

 

今朝、電車で通勤する際、ドア部分に「サラリーマンは楽して稼ぎなさい」という趣の本が宣伝されていました。
もう「そういうことから離れなさいよ」と、むしろ言いたい。
もう楽の極みを極めたのが、現代です。
自ら進んで泥水の中に入って行ける人間で在りたいと、私は思う。
なかなかできることではないし、できているとも思えない。
私も、「楽したい」とチラつくことが多々ある。
私みたいな小者は、油断するとすぐです。

「どうすれば楽できるのだろう。」

そんな自分のどうしようもなさ、弱さを知っているし、危うさ、汚い部分もいつも感じている。
そのたびに「弁え」という言葉が頭をよぎる。
もう我々は、餓鬼道まっしぐらです。
そんな社会を生きていると言って間違いない。
欲望まみれ、我儘三昧。
欲望があるのは仕方がないこと。
ただ、その欲望に吞まれていては、本当の生を貫徹できない。
その自覚は持ち得たいと感じている。

 

関節エステを通じて、ほんの少しでも、本気の関わりを感じて頂けたら本望です。
それには私にも覚悟がいる。
安直とは距離を置く。

その中にしかない、でもたくさん在る、本当の楽しみを掴んで頂きたい。

私はそう感じている。

P.S.
さぁ、今日も勉強です。
己の軽薄さを直視します。
私にとっての「花谷セミナー」は、14年間そういう場で在り続けております。

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関節エステプロフェッショナルアカデミー代表の射水徹です。

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