【エステティシャンあるある】ナンデモカンデモゆるめたい!?

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必要あらば自ずと動く

なんでもかんでも「緩めりゃイイ」というものではない。

 

「運動不足だから悪いんだ。」
「身体が硬いから駄目なんだ。」

そんなものはすべて、思い込みです。
毎セミナーごと、伝えていること。

実際、私は特別に「運動しよう」と思っての運動は、一切していない。

 

 

 

 

いや、嘘だ。

 

してた。

 

 

 

ここ1カ月くらいは、「腕立て」をしている。
自分の中で必要を感じてやっている。
健康のためでも、ダイエットのためでもなく、セミナー動画や写真に写る機会が多く、ある写真に写ったその細ッチョイ腕を見て、「もうちょっとガッシリしたいな…」と。
なんだか、貧相に見えましてね…(-_-;)
講師という立場もあるし、もうちょっと腕をガッシリしたいなと。
それに治療家だし。
もう少し強そうに見えても良いかなと。

 

そんな理由です。
一言で言えば、ただ「見栄え」のためですねm(__)m

もし、今ほど動画や写真に撮る機会がなければ、きっとやっていない。
筋トレ嫌いだし。
人生において、必要性は特に感じていない。
それはストレッチも同様。
学生が終わってからは、何か走ったりする際も一切準備運動というものをしたことがない。
いきなり走るだけ。
その中で調子を感じて微調整していくのが良い。

ちなみに、大学は日大の体育学科でした。
22歳ぐらいまでは、比較的運動をしてきた方ではありますね。
そのお陰で治療業界にも導かれたので、運動様様です。

 

腕立て直後の若干モリッとした腕をみると、「ヨシッ!今日もやったぞ」という気持ちになるので、達成感として良いですね。
腕立てを始めるまでは、「あー、今日もキツイ腕立てをやるのか…」という気持ちになりますが。

 

人に「運動した方が良いかどうか」を聞く時点で、大してやりたくもないのだから、やらなければ良いのです。
必要性も大して感じていないのですから。

人生において大して重要ではない。

必要性を感じているならば、自ずと勝手にやるものです。
それよりも、目先の仕事を真剣に取り組めば、それが十分な運動になる(と私は思っている)。
実際、本当のところはそういうことなのです。
いまはこう言うと嫌な人、偏屈ジジイに思われるのかもしれませんが。
こうしてPCに向かって文字を打っておりますが、これだって立派な運動と言えば運動で。
重要なことは、「本気でそこに向かっているかどうか」だけです。

 

病院で、「使い過ぎですね」と医師から言われて来院される方も多いですが、私は「そうかな??」と甚だ疑問でしかない。

現代ほど、身体を使わなくてよい時代は、過去例にないからだ。

歩かなくていい。
どこへ行くにも電車があり、階段の上り下りすら全自動で連れて行ってくれる。
洗濯機もあれば、掃除機もある。
なんなら、買い物にすら行かなくても届けてもらえる。
ほぼ何もしなくても生活ができるくらい、動かなくて良い時代なのです。
もし、「使い過ぎ」で痛くなっているのであれば、「(何もしなさ過ぎて耐久性を欠いてしまっているところに)使い過ぎてしまった」というのが、本当のところではなかろうかと。

 

 

「歩いた方がイイですか??」と、聞かれる時代ですからね(笑)困った質問だと思いませんか??(笑)

 

 

要は、ほんの些細なことがすぐに「ストレス」となってしまう時代なのだ。
これは、精神的にも同じことが言えますよね。
ちょっと嫌なことがあると、すぐに「〇〇ハラ」です。

肉体的にも精神的にも最弱時代のように感じます。

 

 

通っている方からよく、「先生は何か運動してるんですか?」と聞かれます。

特にしていないのだが、言ってしまえば、通勤の徒歩も運動ですし、こうしてPCに向かうのも運動です。
日々の施術業も運動だし、トイレ掃除も運動です。
毎日風呂から上がる際は、風呂場の水滴をすべてタオルで拭きとって上がるのですが(一人暮らしの頃からのルーティンの一環で、今も続けている)、それもなかなかの運動です。
拭いたり絞ったり、屈んだり結構な動きをします。
カレーを食べている時も運動ですし、お店に向かい、帰る時のその足だって運動です。

ですから、私に運動不足はあり得ない。

その上で、他にも何か「運動したい」と思えば、勝手に何かしらやりたいことをするでしょう。

 

 

「身体を鍛える」という概念は江戸時代にはなかったそうです。
夏目漱石は、「吾輩は猫である」の中で当時流行り始めた運動を猫にさせて「嘲笑」しております。

吾輩は近頃運動を始めた。猫の癖に運動なんて利いた風だと一概に冷罵し去る手合にちょっと申し聞けるが、そう云う人間だってつい近年までは運動の何者たるを解せずに、食って寝るのを天職のように心得ていたではないか。
(中略)
運動しろの、牛乳飲めの冷水を浴びろの、海の中へ飛び込めの、夏になったら山の中は籠って当分霞を食えのとくだらぬ注文を連発するようになったのは、西洋から神国へ伝染した輓近の病気で、やはりペスト、肺病、神経衰弱の一族と心得ていいくらいだ。
【吾輩は猫である】より抜粋

運動は、「西洋から神国に広まった伝染病の一種」とのことです。

まぁたしかに、イマドキの「1日1万歩歩きましょう」とかいうアレも、私的には伝染病と言いますか…
言いたかないけど、そんなことをイチイチ気にして生きている場合じゃあないんだよな。本当は。
でも、それが生き甲斐みたくなっている人もいる。
哀しいが、それが現代であり、また今の日本という国家の脆さとも言えるでしょう。
生命的に弱いのだ。
私にはそう思えてならないのだが。

どうも二十世紀の今日運動せんのはいかにも貧民のようで人聞きがわるい。運動をせんと、運動せんのではない。運動が出来んのである、運動をする時間がないのである、余裕がないのだと鑑定される。昔は運動したものが折助と笑われたごとく、今では運動をせぬ者が下等と見做されている。
【吾輩は猫である】より抜粋

運動という伝染病が流行る前は、運動をしていた人が「折助(おりすけ)」と蔑まれたのだそうな。

その時代ごとの背景によって、見え方がこうも変わるということです。

 

もし江戸時代の人が現代に現れたら、「折助」だらけに見えるのだろうか??

「なんだコイツらは…やたら自転車こいで」とか。
「なんで機械の上で走ってるんだ…バカなのか?」と思うのだろうか?

 

 

P.S.
執行社長は、施術家よりも施術家です。
そう感じる動画です。

 

こんなお話を無料のYouTubeで聴けるのが有り難い。

 

どうも、左肩が凝ってきた。
ちょっと腕立てしてきます。

 

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toru-imizu

関節エステプロフェッショナルアカデミー代表の射水徹です。

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