バスケ部で良かった。
約30年振りに高松中学バスケ部時代の恩師との再会でした。
先輩と同期とも。
「うおーまったく変わらないね!!」
シマちゃんが、30年前とまったく同じ顔をしてそこにいた。
衝撃過ぎるくらい、同じ顔。
きむらの美人女将さんが、「え!そんな久し振りの会なんですか!?」と。
五反田で何か大切な会を開く時は、「きむら」で間違いない。
食事はもちろん、場が良い。
何を食べても抜群に美味しい。
焼酎ロックが進んでならない。
「30年振りって気がしないね。」
本当にそうで。
結構忘れているコトってたくさんあって、話ているといろいろ記憶が戻ってくる。
【みんな懐かしいな。再会を果たすまでは、この頃のまま時間が止まっております。】
【左射水、右阿部ちゃん。阿部ちゃんとは10年前に一度会ったが、今どうしているだろうか。】
【かるく酔っぱらっているのだろうか…】
引退後、恩師が俺たち全員を食事に(飲みに?)連れて行ってくれたっけね。
この写真を見るまでスッカリ忘れていたが、一気に思い出した。
良い時代だよな。
今じゃあり得ない(笑)
中学時代は、当時流行っていた「カクテルバー」をたまに飲んでいた。
酒も煙草も普通に買えた時代。
私は煙草はやらなかったが、酒はバスケ部の仲間の家に泊まりに行った時だけは、ほどほど飲んでおりました。
【赤い服のヌマの家で酒を覚えたようなものだな。中央右の恩師も若いなぁ!】
先生も当時は22,23歳だったんだよな。
初任で俺たちを指導してくれていたのだ。
当時は解らなかったが、先生も大変だっただろうなと、今にして感じる。
俺たちからすると「できる大人」にしか見えなかった。
さらに先生は人気者だったからな。
「先生に認められたい。」
そんな承認欲求に初めて苦しんだ中学時代でもあった。
多かれ少なかれ、当時のメンバーはそういうものをもっていたのではないだろうか(?)。
青春の一頁ですな。
バスケ部に入って最初にひと際存在感を醸し出していたのが、リョータ先輩だった。
まさに高松の切り込み隊長でした。
リアル宮城リョータのイメージ。
引退後も俺たちの最後まで一緒に練習してくれた。
「先輩覚えてますか!?」
「覚えてるよ!」
いやー、嬉しかった。
先輩も当時のままの顔をしていた(笑)
島兄は、バスケ部じゃなかったというのがビックリだ。
でも、よく一緒に練習していた。
当時から自由だな(笑)
いつの間にバスケ部にもぐりこんだというのか…
島兄とは結局朝まで私の治療院で飲んでしまった。
話の流れで施術して欲しそうな顔していたから、サクッとやってあげた。
島兄の性格の如く、自然に真っ直ぐな、熱い背骨をしていたよ。
背骨には性格がまんま出るからね。
次は当時の顧問ふたりにお声がけして「また会いましょう」ということになっている。
それも楽しみだが、同期はいまどうしているだろうか。
俺は連絡を取る手立てがないので、青ちゃんとシマちゃんに任せるとする。
元気にやっていればいいね。
【やっぱシマちゃん、変わらないな(笑)】
P.S.
バスケ部で良かった。
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