痛みと苦悩を抱き締めろ。

日常

「どうしよう」は、病む。「こうしよう」は、乗り超える。

当院はご紹介ラッシュです。
どれもこれも、激痛患者さんばかりです。
「先生、知人が首の激痛で。」
「先生、同僚がギックリです。」
特に最近はギックリ腰だらけです。
心理的なことで言うと、「強い抑圧からの解放としての激痛」でしょう。
激痛さえも、「身体からの要求」あってのことです。

60代女性の常連さんも、「コロナで気が滅入ります。私、不安で不安で」と。
隣の大崎でも出たそうで。
来院当初から鬱っぽく、いろいろな不満も多い方なのですが、これだけ連日報道されていると参っちゃう人は参っちゃうだろうな。
完全な酸欠状態です。
そんな患者さんがこれから大量に増えます。
対して、我々治療家が参っている場合ではありません。
楽観するのではなく、もちろん可能な限りのウイルス対策はすべきですよ。
その上で、あとは天に任せる以外にないでしょう。

「もしなったら、どうしよう。」

武士の教えの中で最もしてはいけないことが、「取り越し苦労」です。
「もしなったら、どうしよう」が最も病みます。

「もしなったら、こうしよう」を決めておけば、あとは今目の前のすべきことに集中して生きることです。
病む人と病まぬ人の差は、「ど」と「こ」の違いだけです。

 

激痛というのはある意味最強の心理療法なのかもしれません。
たとえば、高熱に侵され苦しいと、日常の悩みなど吹っ飛びますね。
苦しくてそれどころではなくなります。
たとえば、歯が激痛になると、もう他のことはすべてどうでも良くなります。
自分の噛み締めで歯が割れた時は、死ぬほど痛かった。
「バキッ」という音で目が覚めたことがあります。
過去に顔面が痛くなったこともあり、しばらく続きました。
「もしこの痛みがずっと続くなら死にたいかも」と考えたほどの痛みでした。
激痛に晒されると、仕事の悩みや人間関係の悩みなど、考えている余裕がない。
とにかく頭の中は、「痛い痛い痛い痛い痛い」ですから、それ以外の悩みが一切なくなります。

「大事に至らぬことで、いちいち悩むなよ。」

身体が激痛をもって、そのように訴えているかのようです。
強烈な痛みの背景には、それまでの蓄積された抑圧があるのです。
ちなみに、歯の激痛時は寝ても噛み締め感がゼロでした。
激痛を持って、噛み締める必要がなくなったようでした。
(ちなみに、最近はまた噛み締めが始まった。マウスピースはひとつダメにしたので、来月また作り直しです。)

 

少し視点を変えると、強烈な痛みが出るということは、元気な証でもある。
私はそうとも考えている。
そうでなければ歯が割れるほどに噛み締めだって起こらないでしょう。
何かこう、やり切れぬ思いや、戦っていることがあり、「バキッ」となるほど噛み締めたわけです。
生きようというエネルギーの大爆発なのです。

元気のない人はもう痛みすら出なくなる。
こんなことを書くのもアレですが、電車に飛び込んでしまう人は無表情というでしょ。
スーッと行ってしまう。
「気」がない状態です。
「ウオーッ」なんて気合い入れて飛び込むわけがないのです。

「根本治療して一生痛みの出ない身体に。」

それは、あり得ないこと。
痛みのない生活など、彼の世に行ってからで十分です。

生きるということは、同時に痛みを抱えることなのです。
激痛が出たということは、それだけの苦悩も同時に抱えているのだ。
治療院やエステサロンは、時にその人の抱える苦悩をも抱き締める場でもあるのです。

痛みを機に、自己の何に気づけるか。
痛みはなにを伝えたいのか。

痛みは生きている証です。

【この鼻の横の奴が痛いんだよなー】

P.S.
「女子の武士道」という本があったな。
今度講師陣に配ろう。(^_-)-☆

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関節エステプロフェッショナルアカデミー代表の射水徹です。

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