私は死の眠り以外の休息を願わない。
1日が早過ぎる。
今日もあっと言う間に1日が終わってしまった。
休憩時間はほぼなし。
さすがに今日は大きな動画を撮れなかった。
かろうじて、ショートを一本。
これはまぁ、既にやった内に入らないレベルです。
かるいジャブレベル。
ひとまず、直近セミナーの特典の準備は整いつつあるので善しとしますが、本当にシステムを構築するまでは骨折り作業です。
ようやく解ってきました。
すでにやっている人たちが世の中にはたくさんいて、そういう方々を心の底から凄いなと思う。
批判を貰うのも、そっち側の人たちだから。
私も早くそちらへ行きたい。
やることに追われ苦しくもありますが、故に楽しくもある。
退屈ゼロです。
今、人生を愉しんでいると思う。
平和な日を送るよりは、悲痛な日を送ることだ。
私は死の眠り以外の休息を願わない。
私の一生に満たし得なかったあらゆる欲望、あらゆる力が私の死後まで生き残って私を苦しめはしないかと思うと慄然とする。
私の心中で待ち望んでいたものをことごとくこの世で表現した上で、満足してー或いは全く絶望しきって死にたいものだ。
「地の糧」にある、ジッドの言葉だ。
「死の眠り以外の休息を願わない。」
ここが大好きだ。
要は、いわゆる現世的な「享楽的な楽しみ」など、一切いらんと。
これがかっこいい。
また、人生の成功も人生の失敗もどっちでも良いと。
現世的には、「どうせなら成功したい」と誰もが思うものだが、そんなこともどうでも良いと。
成功しようが、失敗で終わる人生だろうが、ただただ体当たりだけが必要だと言っている。
魂を燃焼し尽くして死のうと言っているのだ。
勇気を貰える一節だ。
ちょっと意味が違うかもしれないが、「告白と呪詛」にあるシオランの一節にも何か通ずるものを感じる。
不眠の一夜をすごすほうが、眠りに恵まれた一年間よりも、多くのことを学ぶものだ。
別の言いかたをすれば、不当な暴力のほうが、昼寝よりもはるかに教訓的である。
いまやこんな表現をすれば、かんたんに叩かれる時代だ。
とにかく「人に優しくしなければいけない」世の中だ。
不当な暴力など良いハズがない。
もちろん、異論はない。
私もそう思う。
だが、その不当な暴力から学ぶことがあると言っている。
現代人には耐えがたい一節だと思うが、私にはとても響くものがあった。
要は、「不幸を厭うな」と言っている。
不幸と向き合い、不幸に立ち向かえる人間で在りたいと願う。
が、なかなかできていないなと感じます。
でもきっと、私にはできる。
そう思います。
死んだら永遠の眠りが待っている。
いまは眠っている場合ではない。
今夜は一度死ぬ。
また明日から闘うぞ。
P.S.
もう金曜日かよ。
本当に恐ろしや。
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