絶望して生きるのが人間のありよう。

アカデミー日記

読書は知識を入れるためのものではない。対話こそが、読書の本義だ。

6月23日(火)のセミナーが、地方からの方がひとりキャンセルとなりました。
「奇数だなぁ」と思っていた矢先、以前に一旦はキャンセルされた方から、「受講できることになりました、まだ間に合いますか?」と連絡を頂きました。
これもまたご縁ですね。
今回はこれ以上は受付ません。
少数制で楽しい時間にしましょう。
当初は10時-17時予定でしたが、通勤ラッシュを避けるため12時スタートとなります。
お昼の食事休憩はとりません。
また30~60分ほどの延長はあるかもしれませんので、ご了承下さい。

 

最近は風呂の中で「死に至る病」という本を読んでいます。
キルケゴールさんという哲学者の本です。
これがまったくわからないのですが、わからなさがお風呂の中ではとても心地良く、汗を大量にかけます。
今まだ70ページくらいなのですが、特に語れることもなく。

キルちゃんはその病を、「絶望」と定義しているのですが、私は最初、「そうか、絶望して生きることは良くないのか」と思っておりました。
でもどうやら様子が違う。
人間が絶望するのは、人間の特権だと。
生きるという事は絶望することだと(たぶん、そう書いてある)。
ただ多くは、自分が絶望していることにすら気づかずに生きていると書かれています。
「私はすごく幸せ。」
たぶんですが、こういう人のことをキルちゃんは、絶望に気付かない人、もしくは、絶望を見て見ぬフリをしている人だと言っているのでは。
その気づかずに生きているそのことが、「絶望的に生きている」とのこと(たぶん、そう書いてあるのだと思うm(__)m)。

「死に至る病」とは、もしかしたら、「ちゃんと死ねる方法」が書かれているのかもしれません。
ちゃんと、「人間として死ぬ方法」かな。
要は、きちんと絶望し、その絶望に自己が気づき、その絶望を受け入れ、絶望と直面して生きることが「本当の死に至れる」ということが言いたいのかもしれません。
いや、まったく私のこの見解がズレズレかもしれませんから、信じないでくださいね。

さっきの自分が絶望していることにすら気づかずに生きている人は、「生きながらに既に死んでいる」ということなのだろうか。
「お前は既に死んでいる」というアレです。
もしくは、生きながらに既に死んでいると言えば、ウォーキングデッドのゾンビたちでしょうか。
「ゾンビのように生きていては、それは人間ではなく、ただの動物だよ。それじゃ駄目だよ」ということが書かれているのか。
私はそう受け取っているのだが、別に正解はわからなくて良いと思って読んでおります。
なんなら間違って解釈していても良いから、解説書などは読みません。
「私は幸せです」とか言っているようでは、「全然まだまだだな」ということが書かれている気がしますよ。

私読んでいて気付いたことがあります。
解らない本を読んでいると、線を引く場所が変わるということ。
普通は、「そうだよ、それが大切なんだよ」と、自分が共感したり、自分が言葉にできなかった部分を明瞭にしてくれている部分に線を引くでしょう?
でもよくわからない古典を読んでいると、もちろんそういうところにも折り目を付けたりするのだが、「もしかしたらこれがキーポイントなのかな??」と「よくわからないところにもしるしをつける」のです。
エメラルドタブレットの時もそうでしたが、共感できないよくわからないところにしるしが結構ついている。
自分の考えを「やっぱり俺は正しかったんだ」という読書をした人の代表格(?)が、ヒトラーだと言います。
要は「自分を正当化するための読書」をしたという事らしいです。
自分の考えを強化するために、「自分の意見と合う点だけをどんどん取り入れた」のがヒトラーだと、なんかの本で読んだ。
でも本当は逆で、自分が知らないこと、反応できていない場所の方が大切なわけです。
反応できているところは、もうすでに自分の中にあることだからです。
余裕で線を引くようなところは、もう自分の中にあることだから、むしろいらない部分なのです。

なんだかよくわからないことが書かれている本は、読んでみるとその体験が非常に面白い。
まったくわからないことが、面白いという、アベコベ現象に出会います。
まだまだ何にも知らないことを思い知らされます。本当に。
ソクラテスさんのアレですね。
でもそうでないと、人は謙虚さを失うと感じます。
そうなったらおしまいでしょう?

「わかるわかる~」という読書は「同感の読書」です。
要は、ヒトラー風。
「なんかこれが核なのかなぁ・・・」という解らないのだけれでも、寄り添うというか、わかろうとするというか、それが「共感の読書」のように感じます。
それが、「著者と対話をする」ということなのだと感じます。
知識を入れる読書は、読書とは言わないのかもしれません。
読書って本当は、「魂のやり取り」なのかもしれませんよ。
この数年、なんだかよくわからない本に触れていく中で、そのように思うようになりました。

 

岩波文庫全部制覇したい。
執行氏は小学生時代に、当時岩波から出ている書はすべて読んだそうです。
まったく意味が解らなくても読んだそうです。
私が小学生の頃なんて、ジャンプとコロコロコミックを嬉々として読み漁り、更にはいとこの家でエロ本盗み読みして、モンモンとしていた。
そんな小学生時代に、この「死に至る病」も読んだのかと思うと、正直、愕然とします。

ただ、自分にも大抵のコトはできると、最近は思うようになった(いや、思うようにしている)。

同じ人間が、誰に劣り申すべきや。【「葉隠れ」より】

「キルちゃんにできること(わかること)が、俺に解らぬわけがない」と思って読めということです。

明日の朝も、キルちゃんと40分汗だくで対話します。

P.S.
偶然入った、写真左下の亀の言葉がイイ。

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関節エステプロフェッショナルアカデミー代表の射水徹です。

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