あなたの背景にあるすべてが、誇らしく在れ。

アカデミー日記

小さくも既に語れる背景がある。

今日の休憩時間は、治療勉強会でした。
香織先生はこの4月上旬まで「鍼漬け」だったので、今一度、治療術の手技を総見直し開始です。
この5年間は鍼治療以外の意識を持つ余裕もなかったでしょうから。

私自身も、この5年間修行を続けてきましたので、私の理解度の棚卸でもあります。
そのすべては、「花谷先生からこう指導を頂いているよ」という話です。もう「ほとんど」ではなく、「すべて」ですねm(__)m
おそらく、躓く点は、私とほぼ同じかと思います。
自分が学んできたことを、できる限りそのまま伝えたいと思っております。
「できる限り」というのは、勘違いも含めてですね。
時に勘違いもあるわけですが、その勘違いすら必要なプロセスと思っております。

 

当然のことだが、トレースをしっかりとしたい。
要は、「誰から教わってきたのか」だ。
治療家、整体師、エステティシャン、セラピスト、誰にでも背景があるのです。

我が物面で、「こんなんできるぜー」が横行しているのが、この業界です。
いまは、YouTubeで容易に様々なやり方が見れることも相まってのことでしょう。
いろいろなやり方をごちゃまぜにして、「コレ〇〇式だから」と「自身のサロン式」にしている方も多いだろう。
背景があれば良いと思うのだが、半分くらいの人は、背景を語らないし、語れない。

 

自分の足跡を明かすことを恥ずかしいと思っているのだろうか?
明かすことができないような、「恥ずかしい学び」をしているのだろうか?
はたまた、「自分が全て考えた」とでも言いたいのだろうか?

 

当アカデミーでさえも、過去にチョロッと先に学んだ方が、「私が教えてあげるよ」と、引き抜きのようなことが起きた。
後々になって巡り廻って入ってきた話だったし、こちらはそれに対して何か言うこともありませんでしたが。
そういうことはきっと、どこの団体にも絶えないことなのだろう。

 

「やり方」というのは、既に出尽くしているでしょう。
ヒポクラテスの時代から骨の矯正はあっただろうから。
むしろ古代人の方が現代人よりもあらゆる面で感性が研ぎ澄まされ、潜在能力も圧倒的に高かったのではなかろうか。
もちろん、メチャクチャもあったのだろうけれども(笑)
現代では野口晴哉先生のように、修行を重ね霊性を高めて来た大治療家もいる。
それこそ触れるだけですべてが治るような奇跡を起こせる人もいるのだろう。

大切なことは、自分が信じた道を貫くことだ。
その中からしかいわゆるオリジナリティは生まれないように感じる。

安易なつまみ食いで、「私が考えた」でも良いのですが、そうでないことは既にそのご自身が最大の理解者なのであり、その後ろめたいさと共にずっと生きなければなりません。
それって結構ツライことだと思います。

 

以前、受講生の方から言われたことがあります。

「射水先生には師匠がいて、その師匠から今も教えて頂いているので、そういう先生から私は学びたいと思って関節エステに来ました。私はそういう先生を持たずに来たから。」

 

自分のまだまだ僅かな治療家人生においても、小さくも既に語れる背景があることに気づきます。
それは有り難いことであり、誇らしいことでもある。
またこれから育てていくことでもある。
すべてが現在進行形なのだ。
最期まで完成を求め、未完のまま死ねたらいい。

 

皆さんにも歩んで来られた足跡があると思います。

その足跡を大切に。

あなたの背景にあるすべてが、誇らしく在れ。

そう願う。

 

P.S.
関節エステは、まだまだこれからも発展していきます。

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toru-imizu

関節エステプロフェッショナルアカデミー代表の射水徹です。

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