「射水先生のことが大嫌いになりました」という物語。

アカデミー日記

初心を貫いてようやく、普通の大人。

※今日のブログはスマホで読む場合、写真部分が読みにくいかもしれませんが、アップにして読んでみて下さい。

 

「関節エステの番人ミオコ」から手紙が届きました。

【イメージはこんな感じ↑この方は「PRIDEの番人ゲーリー・グッドリッジ」でございます。】

内容は、「とにかく射水先生のことが大嫌いでした」という内容です。
ニヤニヤしながら読んでしまいました。
笑いあり、感動ありの長ぁぁい手紙です。

有り難いなぁと。

ザックリですがこんな内容。

  • 2018年1月からの第1期マスタークラスの初日で、すでに心が折れたこと。
  • あまりのできなさから、マスターを受講したことを後悔したこと。
  • Day2から、受講料を捨ててでも辞退しようか悩んだこと。
  • マスター最終日に、「何で来たんだろう。来なきゃよかった」と後悔したこと。
  • とにかく敗北感が凄かったこと。
  • 3月のマスター修了時点で、「射水のことが大嫌い」になっていたこと。
  • 射水のことが大嫌いなのに、とにかくセミナーに通い続けようと決断したこと。
  • 通い続けながらも、セミナーに来ることが辛く、まったく楽しくなかったこと。
  • 射水のことを相変わらず大嫌いなままだったこと。
  • 受講料、交通費、宿泊費など、労力をかけて毎回辛い思いをして、何で自分は通い続けるのか自問自答したこと。

「射水のこと大嫌い歴史」が入念に綴られておりました。
どんだけ大嫌いだったのかと。

にもかかわらず、ミオコはどうして通い続けたのか。
手紙の冒頭に書かれていました。

一瞬で身体に起こる変化に感動したのだそうです。


【漢字の間違いは大目にみてやって下さい。予測変換してお読み下さい。】

射水のことが嫌で嫌でそれでも通っていた原動力は、「お客様に感動を届けたい」という「初心」だったようです。
この気持ちだけは消えなかったのだそうです。

手紙の4枚目にして、ようやく嫌われなくなりました。

【いまだに関節の節が「接」です。これは「エステティシャンあるある」の代表例です。「『関節』くらい書けろや!」と、いつも思う射水です。】

ミオコに嫌われていたことも光栄であり、嬉しくてたまらなかったのですが、「独立開業よりも、マスターの再受講をできたことの方が嬉しかった」と書かれていたことが、何よりも嬉しいです。

【「今は敗北感ではなく、自分にとっての『課題』として存在してます。」これって凄いことでしょう?】

本当に生まれ変わったよね。

最後のページが一番嬉しい。

【関節エステを通じて出会った仲間を大切にして欲しいです。】

ミオコは初心を貫いた。
実際、射水のことが好きとか嫌いとかは、どうでも良いことです。
嫌いでも意地で貫いた。
辞めなかった。
今どき珍しいと思う。
その精神が私は嬉しい。
初心とは、とても厳しいものなのです。

今は簡単に初心を破るのが当たり前にすらなっている。
都合が悪くなるとすぐになかった事かの如く離れていく人も多い。
人が人から離れるにはいろんな理由がある。
それは解る。
それでも初心を失った事実は、本人が受け止め続けねばならない。
たとえば、「最低な旦那だった」と離婚したとしてもです。
その最低な旦那を選んだのは自分であり、一度は初心を誓い一緒になったのだ。
結婚式までして、大勢の前で誓いまで立てているではないか。
その誓いを破った事実は、如何なる理由があれ、変わらないのです。
もっと言えば、「最低を選ぶ要素が自分にもあった」ということです。
よく、「ダメ男ばかり寄ってくる」と言う子がいますが、「ダメ男を寄せ付ける要素が多分にある」ということです。
厳しいけれど、そういうことです。
認めないからいつまでも「ダメ男ホイホイ」なのです。
どんな理由があれ、初心を失ったという事実を決して忘れてはならない。
私はそう思います。
もちろん、私も初心を失った経験が何度もある。
中には、当時を振り返ると自分が最低だと思うこともある。
だからこそ事実を受け止め続け、「自分には最低な要素が多分にある」ということを認めなければ、本当の意味で前には進めないのです。
何度も同じことを繰り返すのだとしたら、それは初心を失った言い訳を、自分都合でしているからです。
「自分棚上げ小僧」では、いつまでも大人になれません。

「あの人は変わった。」

その変わったあの人を選んだのは自分だということです。
極論になるかもしれませんが、万が一、自分が世話になった人が犯罪者になったら。
それでも、受けた恩義があり、その事実はなにも変わりません。
恩返しできるよう貫こうと思っています。
そうなった時、本当にそれができるかどうかはわかりません。
でも、そうで在りたいと思う。
何が起きても、世話を受けた恩があるという事実は変わらないのです。

「あの人は変わった。」

それに対して変わったあなたはどうなのか?
そこを置き去りに、相手を責めることなど、本来はできません。

 

「初心を貫く人と、失ってしまう人の違い」を、執行先生はこのように言っております。

簡単に言えば、その人が約束を守る人かどうかという違いなのです。
初心は、言い換えればすべて約束ごとなのです。
他人との約束もあれば、自分自身で誓ったものもあります。
その約束を守ることが、初心を貫くということなのです。
約束ごとなので、本来は守るのが当たり前のものです。
しかし、守られないことが多いというのが現状です。
約束を守るということは、人間の生命にとって原点のように私は思えます。
人類の歴史を見ると、すべての文化は自己の生命と何者かとの約束によって成り立っているのです。
つまり、約束を守るために生きることが、人間の生命を崇高にしているに違いないのです。
【生命の理念Ⅱ 初心を仰ぐ16-17頁より抜粋】

「いつか絶対に開業します。」

いつかの懇親会での言葉を、ミオコは貫いた。
私だって信じていなかった。
もっと言えば、「いやいや、辞めといた方が」と思っていたに違いない。
でもある時から私はそう思わなくなった。

「ミオコ、本当にやるなら期限決めないと。」

そう信じるようになっていました。
今回は、ミオコの執念が勝りました。

ここからは言い訳無用の世界です。
もしも廃業して言い訳したって意味がないですから。

「うちの会社はボーナスが出ない。」

我々は、そんな愚痴とは無縁の世界です。
ミオコよ、これからも己の信ずる道を貫けよ。

P.S.

初心を貫く人間にはなれますが、それは立派な人間などではなく、「普通」の人間になれるのです。
つまり、大人になるということです。
大人になるというのは、普通の当たり前の人間になるということなのです。
【生命の理念Ⅱ 初心を仰ぐ35頁より抜粋】

初心を貫くことは、立派なことではないのです。
「そんなことは当たり前」と書かれています。
執行先生の言葉は、私のような現代の甘い汁を吸ってきた人間には厳しく聞こえる。
でも、ぐうの音も出ない本質だと感じますし、そうで在ろうと思う。
当たり前を当たり前にやる。
到底私はまだまだですが、必ずそこに行きたいと思います。
精神を高めて生きたい。

P.S.2
最近のブログはミオコネタが多すぎる。
でもミオコを知っている人、近くで見てきた人には、それくらいの事件である。

「お客様に関節エステの感動を届ける。」

自己の打ち立てた初心を、貫いて見せた。

開業はあくまでスタートです。
ここからは厳しい戦いの連続です。
一歩ずつ前進あるのみです。

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toru-imizu

関節エステプロフェッショナルアカデミー代表の射水徹です。

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