宗教心が失われ、我儘放題し放題の似非民主主義の慣れ果てが、現在の「全体主義国家」日本なのだ。
今日は久し振りの断食です。
明日は土曜日だし、明日の夜までは行けるかな?
結局、正月から今日まで、断食ゼロで来てしまった。
正月からは、1日1.5食から2食になることが多かった。
お酒も普通に飲んでしまっている。
気を抜くと悪習が続く。
一昨日も、昨夜も、家に帰ってから食べ過ぎてしまった。
「顔に締まりがなくなってきたな。」
今朝、そのピークを感じました。
鏡を見てそう感じた時が断食のタイミングです。
エラと首がモッサリと繋がって見えたら、断食しないと寝起きが悪くなります。
年末からの悪習を今日で断ちます。
平日はノンアル生活の方が、やはり調子が良い。
ここ最近、心臓がたまに、「トンッ」と波をうっておりました。
1日に数回ほど。
この数日はそれがなくなって調子が良い感じです。
昨年の1月18日火曜日、夕方に心臓がおかしくなった。
翌日、近くの病院に行くと、心電図に心筋梗塞の波形が出ておりました。
結局、簡易検査は陰性で、数日後の結果は「ただのストレス」だったのでした。
この時期は注意するに越したことはない。
キルケゴールの「死にいたる病」を読んでいると、宗教心が失われ、形骸化していくキリスト教を強烈に憂いていることが伝わる。
その「怒」と「哀」だけが強く響いてくる。
民主主義というものは、もともと宗教から生まれたものです。
キリストもマホメットも釈迦も共通するのは、古代宗教の厳し過ぎる戒律に「ほんの少しの赦し」を説いたこと。
その「ほんの少しの赦し」が民主主義の根底なのだが、今は「ほんの少し」どころか、「膨大」否、「それだけのもの」に膨れ上がってしまったのだ。
厳しさの部分が、完全に取り払われたのだ。
それが、現代の民主主義(もちろん偽物の。形だけの)であります。
キルケゴールは急速に形骸化していく宗教の在りようを憂いていたのだ。
「人間が神」となっていく様を憂いたのだ。
宗教心が失われ、我儘放題し放題の似非民主主義の慣れ果てが、現在の「全体主義国家」日本(日本のみならず)なのだ。
「隣の人と同じがいい。」
「周りがそうだから。」
現在の水平化社会こそ全体主義社会の証なのだ。
食事から人間関係まで、人生のあらゆるコトから「毒」が抜かれ、「そのままでいいんだよ」「生まれただけで価値がある」という間違った価値観が主となり、善とされている。
こんなことをいくら叫んだところで、歯止めなど利かないのが我々の生きる現代だ。
嫌ならば、自分ひとり黙って、「逆」を生きるしかない。
キルケゴールはひとりそのように生き、死ぬまで批判と嘲笑の的だったそうな。
多くの人に認められることが素晴らしいのではない。
「数字」が全てとなっている現代は、そういうことも解らなくなってしまった。
「何万回再生」が価値になるのは、要は、「価値観がないから」なのだ。
人気でしか価値を把握できないことが、我々現代人の軽薄さを物語っている。
これを「虚無」と呼ぶ。
現世と戦い抜いたキルケゴールのその魂こそが尊いのだ。
私はそう思う。
執行社長のYouTubeで、私の質問、というか「願い」に応えて頂いた。嬉しい!!
私の「願い」は、7分51秒からだ。
【野口晴哉先生との思い出話が聞きたいです。】
「おゝポポイ!」にも出てくる逸話がより深く聞けて嬉しい限りです。
宇宙動きてわれ動くなり、わが動くもこれ宇宙の動きなり
「おゝポポイ!」で紹介されている、「治療の書」にある一節です。
【治療家なら誰もが読んでいる「治療の書」です】
関節エステを勉強するならば、読まなくていいわけがない名著です(^_-)-☆
マスターメンバーには特に読んで頂きたい。
第3期の砂知子さんは当時、「ソッコー買って読みました」と言ってたな。
おそらく、ほとんどの方は今年1冊も本を買っていないでしょう。
でしたら、「治療の書」もしくは、「おゝポポイ」もしくは、「その両方」をお薦めしますよ。
書から発せられる知的波動を存分に浴びて下さい。
P.S.
今夜は早く寝よう。
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