楽しむ能力は苦しむ能力と同一である。
第6期マスタークラスの感想です(^_-)-☆
射水先生
昨日は1日ありがとうございました。
緊張して迎えた初日、最初からテストのような1人ずつの施術。
ど緊張の幕開けでしたが、その後は全てが楽しかったです。
先生の施術を実際に体感して、その後先生方に施術をする、という流れは本当に贅沢で有意義な時間でした。
今回改めて実感したのは、自分の思い込みでした。
動画で立ち位置を確認していたのに、身体の向きが違っていた。
止めているようで、押し続けていた。
動作の途中でセットしたポジションが崩れていた。
など、まだまだ沢山ありますが、どれも自分だけでは気づけないことです。
また動画では伝わらない圧の加減や、施術を受けた時の受け手の感覚もです。
先生と受講生の施術を順に受けて比べることで、同じ手順なのに受けた感じがまるで違うこと。
自分の施術はどうなのかなど、手順以外でも考えさせられる、勉強になることだらけでした。
また施術の最後に主訴を触る、手を離す際に左右で時間差を作ることなど、同じ内容を行うにも、ちょっとしたことで受けた際の満足感が変わること。
これは今の施術でも即実行だと思い本日から取り入れました。
今日は施術が楽しくて仕方なかったです。
どんどん修正できるように、そしてお客様に喜んでもらえるように次回までに改めて練習を重ねます。
懇親会も先生方を独占して贅沢すぎました。
ありがとうございました。ごちそうさまでした。
リニューアルします。11月1日。有言実行です!!
大量の気づきが得られたようで最高の1日でしたね(^_-)-☆
マスタークラスに来る方は、サロンのこと、施術のことで悩んでいる方がほとんどです。
というか、100%でしょう。
悩みを断ち切る方法は、たったひとつです。
まずは、今ある環境の中で「最大限をやり切る」ことです。
これしかない。
本気を出し切らず、「もうこれ以上はやりようがない」というところまでやらないから、ずっと迷い続けるのです。
頭で考えて悩んでいる内は何も起こらないですしね。
マスタークラスに来ると、行動できることが山盛りで溢れ返ります。
まずは「行動の最大化」です。
すべてやり切るという気持ちです。
多くは、「あーしたいこーしたい」と言いながら、その背景には、「楽していたい」という気持ちが強いのです。
厳しいけど(笑)
「これからこうして行きたい」ということに対して、板倉先生は、「今言ったことを全部すぐにやればいーじゃんッ!!」と簡単に言っているように見えるかもしれませんが、裏でまぁまぁ苦しいことばかりやってますよ。
そういう部分はなかなか表には見えてこないのだけれども。
苦しいことこそ立ち向かうと、次が自ずと見えてくるものです。
多くの人にはいわゆる「楽しいの勘違い」があり、本当に楽しいことって、実は本当に苦しいことなのです。
それが解らないと、一生「あまり重要でない楽しい」に振り回されて終わります。
今は9割の人がそういう人生なのだと思って見ております。
ローマ帝国が滅びたのと同じ。
パンとサーカス(食べ物と娯楽)ばかりが礼賛される時代ですから。
文明としてはすでに崩壊しているのです。
一歩油断すると、私自身もあっと言う間に片足突っ込んでおります。
だからこそ、そう自覚しておかないと。
昨日のブログにも書いたけど、普通はツライのであります。
意志とは、自らを感ずる力であり、それはつまり、苦しむ力である。
(中略)
しかし苦しみえない者は喜びえないのであり、楽しむ能力は苦しむ能力と同一なのである。
寒さを感じない者が暑さを感じないように、苦しまないものは楽しみもないのである。
【ウナムーノ著作集3「生の悲劇的感情」より】
過去を振り返ってみれば、その時はつらかったことや苦しかったことばかりが思い出として残っていないだろうか。
それを共感(苦)した仲間と語れる楽しさが最高じゃないですか。
普通であることを止めよう。
今できることすべてに体当たりするのみです。
マスターが修了してからの、「あの時さ~」という「苦楽しい」思い出話を待っております(^_-)-☆
P.S.
俺もまだまだ体当たりするぞ。
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