死が耐えられないほど悲しいのは、その人と出会えた人生が、それほど素晴らしかったから。

日常

悲しい時は、悲しみ抜くが善し。

今日で父が逝って、ちょうど1年が経ちました。
昨年の明け方でした。
本当にあっと言う間の一年です。
先日法事でしたが、親族を前に挨拶しながら涙が出そうになってしまった。
思い出すとたまに寂しい気持ちにはなります。

昨年10月23日(火)が最後にお見舞いとなりました。
丁度7ビューティーへ向かう前に顔を見に行きました。
父はずっと眠っていました。
もう長くないことは担当医から聞いておりましたし、父に会えばすぐに解ることでもありました。
この日はたしか、過去最少人数での初級編でした。

すごく楽しい、良いセミナーだった記憶です。
受講生のことも覚えていますから。

この2日前の21日(日)にお見舞いに行った時は、数分間だけ身体を起こし話もしましたが、起きているのがやっとでした。
痛み止めで意識は朦朧だったと思います。
「これ見てよ。一緒にやっている香織さんが作ってくれたんだ。」
当アカデミーの紹介動画を見せました。
父は黙って、動画を見てくれていました。
その時が最後の会話でした。

30日には「はじめてセミナー」、その翌週は第2期マスタークラスも最終日でしたから、気持ちもバタバタでした。
30日のセミナーは、その辺で父が見ているような気もしていました。

そんなつもりで、講義をしました。
自分の中では普段のセミナーとは違う、特別な想いを持って臨んだセミナーです。

その1週間後のマスタークラスが終わった時は、本当にホッとしました。

翌日からは、しばらくなにもやる気が起きませんでしたよ。

 

父が他界した日の夜は家に帰る気にならず。
治療院が終わってから、奥さんを呼んで塚田農場へ行きました。
ガヤガヤした場所に身を置きたかったのです。
塚田はいつも混んでいるから良かった。
酔っ払いの大きな笑い声が癒しでした。
ひとしきり語り、泣いて、帰りました。

悲しい時は大いに悲しみ抜くが善い。
そう教えてくれたのが、若松英輔氏の書籍です。
「いつまでも泣いていたら、故人が悲しむ。」
「笑顔でいなさい。」
そんな残酷な言葉はない。
悲しみの感情があるのは、時に必要だからです。

死にし人々にとっては、残る人々から贈られる涙が、どんなにか嬉しいであろう。
果敢ない存在の記憶は只それ等の人々の心によって守られている。
私達とても悲しさや苦しさがなかったら、かくも切に故人を想う事は出来ないであろう。
涙こそは記憶を新にしてくれる。
悲しさに於いて、此世の魂と彼世の魂とが逢うのである。
【若松英輔著「死者との対話」56頁より抜粋 柳宗悦氏の言葉】

先日の法事の時、奥さんが神妙に「悲しい」と呟きました。
きっとその感情は、父に届いたし、嬉しかったことだろう。
父は奥さんがプレゼントしたシャツをいつも着ていた。

父が逝ってからの方が近くにいる気がしています。
「こういう時、父はどうしたのだろう。何を感じたのだろう。」
そう考える場面に多々遭遇するのです。
その都度、父と対話しているようです。

 

今夜は親父と酒を交わそう。

【2007年開業当初。当時の院の横にあるスタバにて】

P.S.
今、奥さんを塚田に誘いました。

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toru-imizu

関節エステプロフェッショナルアカデミー代表の射水徹です。

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