不幸で良いと思えば、自己の運命は受け入れられる。

日常

不幸が良い。

本日も延長延長で、ここまで来ました。
今夜もいいお酒(ビール)が飲めそうです。
今日は最初から夜まで食べないつもりでしたから、食事も美味しいですね。

 

ある方との会話で、とにかく相手を変えたい。
もっとこうして欲しい。
もっとこうあって欲しい。
言ってもやってくれない。

鬱で仕事もストップがかかってしまったそうだ。
ストレスが酷いと。

 

ストレスというのは面白いもので、施術自体も本来はストレスです。
外的刺激ですから。
皆さんのサロンに通っている方々も、ストレスを受けに来られているのです。
言ってしまえば、電話の音や、空気清浄機の音、衣服の擦れなどもすべてストレスです。
多くの人は受け入れているから発狂しませんが、電話の音でパニックになる人も中にはいるのです。
ストレスをなくすなどあり得ない話で、常に晒されているのが普通のことなのです。

ストレスってそもそもなんなのか。
何故こんなにも「鬱」が増えたのか。
鬱と診断が欲しくて心療内科は行く人もいる。
五反田の心療内科も激混みとのことです。

 

最後に行きつくところは、「食への感謝の欠乏」だそうです。
飽食で、「食べられて当たり前」ゆえに、「食への感謝を失った」ことが「ストレスの本質」だそうです。

戦後は嫌な上司に怒られようが、取引先に蹴飛ばされようが、「食うため」という気持ちが強くあった。
「食うためにはここはひとつ黙って怒られておこう」という気持ちですから、問題(ストレス)にもならなかったと。
怒られ終わるとケロッとしている。
「良し、これで飯が食えるぞ!」
その時我慢をして、家族を養えればそれでもう良かったと言います。
「明日もペコペコ頭下げて、飯くうぞ!」と言ったかどうかは知りませんが、「食うため」があった時代は、ある程度のことは許容できたのだそうです。

今はたしかに、「食うため」が失われましたよね。
公園に住む人も、糖尿病になる時代ですから、食うだけなら困ることはありません。
贅沢が当たり前になった。
でも、「私、鬱なんです」という人に、「君、贅沢病だよ」って言ったらブチ切れられますよね。
私自身のことを言えば、「俺って贅沢病だな」と思うことが多々あります。
たとえば、PCの具合がちょっと悪いだけでイライラしたりも、贅沢病の典型ですよね。

ハンス・セリエ博士が、ストレスを病気としましたが、もともとはストレスって「わがまま」のことを言うのだそうな(-_-;)また怒られそうだな。
ハンス・セリエさんが、もともとは人間のわがままだったコトを、「病気だ」と認定した(学説を唱えた)ということです。
人間と言うのは、ご都合主義なのでございます。
その自覚はしておかないと、人間が「神」になります(もうなってるねm(__)m)。
今の時代はとっくに宗教性は失われていますから(特に日本には偉大な宗教もなかったこともあり)、モノが神になり変わった。
物質至上主義ですね。
物質で自分の幸福度を測るようになったというわけです。
「幸せになりたい」なんて傲慢も良いところで、幸せとは自分の外にあるものだという認識がなくなってしまったのです(いつかの俺も言っていたなm(__)m)。
「あの人には幸せでいてもらいたい」というのが、幸せのそもそもの概念です。

私なんて超わがままということです。
贅沢病に侵され切っております。
その自覚はあります。
家に帰ればビールをプシュッとして、椅子に座っていればご飯が出てくるような。
「それが当たり前となど、思っていません」などとは、偉そうに言い切れません。

昔は、「暑い」とか「寒い」とか言うだけで、親に怒られた時代があったそうです。
「そんな当たり前なことを言うな!」という具合にです。
あと、「美味しい」とかもだそうです。
「黙って食え。みっともない。お前ごときが評価するな」という具合にです。
あれが嫌だ、これが嫌だ、アイツが嫌い、コイツムカツク。
「食うため」があった時代は、食えればすべて忘れられたのです。

私が子供の頃は鬱なんて言葉を聞いたことがなく、ノイローゼと言っていたように思います。
いまって言ってはいけないのかな?
知らないですが、もう聞かなくなりました。
でも私が小学生の頃はまだノイローゼという言葉は確かに聞いていた。
もし、今の人が「あなたノイローゼですよ」と言われたら、「私は違う!!」とブチ切れるのではないでしょうか。
鬱なら良いけど、ノイローゼは嫌だ。
言葉というのは、やはり人間の心を抉るのです。
でも、抉る言葉が本当のことでもあるのです。

 

食への感謝がないということは、受け止めないとな。
雑に命を頂いているようでは、やはり病になってもおかしくない気がします。
命を頂いているのですから。
その意味を少しだけでも考えて、食事をしたい。

ちなみに奥さんは肉を頂く際は心の中で「いただきます。ありがとうございます」と唱えているようです。

P.S.
骨が動くには、筋肉が働く必要があり、筋肉が働くには、神経の作用が必要です。
じゃあ、神経が働くには何が必要なのか??

刺激が必要です。
ストレスが必要ということです。

ストレスとは、避けようのないものです。
避けようとするから「ストレス」なのです。

ストレスは自ら受けにいくものでなければ、やられるということです。
そもそも受け入れていることは、ストレスになりません。
自発的に受ける刺激、つまり自発的に受けるストレスは、神経に良い働きとなりそうです。
自発的に生きている人かどうかで、骨も、筋肉も、その他エネルギーの状態そのものが変わってしまうのは、当然のことでしょう。
身体の大前提ですよね。
「神経」って神の通り道と書きますよね。
神の通り道に、どんな刺激が日頃から入っているのか。
愚痴不平不満に満ちていれば、身体が狂っていくのは当然のことと言えるのです。
やはり、運命を受け入れるということに尽きます。

P.S.2
今気づいたけど、

今夜もいいお酒(ビール)が飲めそうです。
今日は最初から夜まで食べないつもりでしたから、食事も美味しいですね。 by冒頭の射水

昔だったらブン殴られていますねm(__)m

P.S.3
幸せでいようとするから病むのね。
不幸でいいと思っていれば、どんな運命も受け入れられるように感じます。
もっと不幸になろう。

皆に幸福あれ。

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toru-imizu

関節エステプロフェッショナルアカデミー代表の射水徹です。

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