「魂の同質性」について考えだしたら、眠れなくなった。

日常

何に対して闘いを挑んでいるか。

「魂の同質性」

カッコイイ言葉だと思っています。

佐々木孝氏の著書に出て来る言葉です。

つまり私の以前からの持論だが、人と人を強く結びつけるのは、たとえば何に感動するかとか、どんなものが好きか、ということ以上に、何に対して闘いを挑んでいるか、あるいは何に対して真に怒っているかが決定的要因だと思っている。

「魂の同質性」を感ずる人が、自分の周りにどれくらいいるだろうか。
私は少ないです。
限りなく少ないけれども、確かにいる。

もっとわかってもらいたい。
もっと認められたい。

今はそういう者同士の集まりも多いように思うが、そういう場所に「魂の同質性」なる存在はなかなかいないのでは。
やたらとお互いをビジネスライク的に認め合っている風は多い。
これはSNSが流行る背景にある「裏心理」であろう。
自己の人生を生き切るのに早々に捨て去る必要を感じる代表が、「解かって欲しい」「認めて欲しい」という欲求だ。
これが強いと何もできなくなる。
「1ミリも認められなくていい」と思えて、ようやく自己の人生、生き様が確立される過程に入るのだと思う。
それがスタート地点だ。
言うは易く、現代においては難しいことのように感じる。
なかなかそうさせてはもらえない。
それでも、それができなければ、死ぬまで周囲の顔色を窺って生きることになる。
今はそれが「空気を読む」ことであり、「空気の読める人」として社会に重宝される。
ただそれは燻ぶった人生で終わることを意味している。
私は、自分を省みた時にまだまだ燻ぶっているように感じることがある。
そんな自己と向き合いながら、いつも闘っているように思う時がある。
空気を読めることが大人であり、そのことがどんな社会でも泳ぐことができる有用な人物だというのならば、私は溺れても構わないと40を過ぎるあたりから思うようになった。
今は、「本当のことを言えない社会」になった。
令和は潔癖過ぎるのだ。
同調圧力という言葉が言われるようになったが、そんなことはこの数年に始まったことではない。
政治家も本音を言えば、「アイツは遂に本音を言った」と叩かれる時代だ。
でも本当は、本音のぶつかり合いこそが必要なのだ。
「遂に本音を言った。」
逆に、「本音の言えない社会」とは、どういう社会なのだろうか。
嘘で塗り固められた社会ということなのだろう。
本音のぶつかり合いで喧嘩になっても、本来それこそが「親友」となり得る絶対条件ではなかろうか。
「いいね」と1ミリも思えないことも、「いいね」と言うのが今風の大人なわけだが、そこには常に双方の、「認めて欲しい」「解かって欲しい」が見え隠れする。
誰もが、「認めてくれ」「解かってくれ」と窒息している社会を生きている。

「認められなくていい。」
「解からなくて構わない。」
「成功しなくていい。」

そう思わせてもらえない同調社会こそ、不幸の根源だと私は思っている。

「認められるような人になろうと思うな。」
「解かってもらおうなどと、微塵も思うな。」
「成功したいなど思うな。」

そう言ってもらえる社会の方が、よっぽど風通しが良くないだろうか。
よっぽど魂の奥底から滾るものが溢れてこないだろうか。
今の自分に与えられた環境と向き合い、自己の課題に体当たりができるのではなかろうか。

「お前は大した人間だ。」
「生まれて来てくれただけで価値がある。」
「君なら成功できる。何でもできる。」

聞こえが良いようで、こんな言葉を子供の頃から真に受けてどれだけの人が窒息しているのだろうか。
そんなアメリカ的な誰でもわかるような成功と縁を切ることこそが、本当の自己との闘いに突入できるのではないだろうか。
私にはそう思えてならないのだ。

 

P.S.
気持ち良く飲んできて、今は炭酸水で酔い覚まし中。
「情熱の哲学」を読んでいたら、ブログを書きたくなった。

「魂の同質性」という言葉は、埴谷雄高の言葉だそうだ。

情熱での繋がり。
情熱とは、passionだが、その第一義は「受難」だとこの書で知りました。
デカルトの言うpassionとは、「情念」であり、原初的な人間の持つ情念として、「驚異」「愛」「憎しみ」「欲望」「喜び」「悲しみ」を挙げている。
これらのひとつ、または組み合わせがpassionなのだ。
愛というのは厳しいもので、今時の「愛しているよ」という生易しいものとは違う。
「真の愛は、苦しみの中にしか存在しない」とウナムーノが言っているように、やはり厳しいものなのだ。
これらで繋がるものが、「魂の同質性」と言えるのだろう。

そんな人と人生で一人とでも出会えたのなら、それは本当に素晴らしい人生ではなかろうか。
私はそう思っている。

P.S.2
楽しい決起会になりました。
仕事の話はほぼほぼなかったけれどもm(_ _;)m

私はこれからの人生、治療業と関節エステにすべてを投じたいとあらためて感じました。
良い仲間に恵まれていると感じます。
多くを与えて頂き、今の自分がある。
環境がある。
そこにすべての力を投じていくのみ。

セミナー情報など配信しています。
お友達登録宜しくお願い致します。
友だち追加

 

 

toru-imizu

関節エステプロフェッショナルアカデミー代表の射水徹です。

関連記事