関節エステを通じて、今年もたくさんの出会い、仲間が生まれました。2021年も共に突っ走ろう。

アカデミー日記

俺たちのからだは、「體」だ。

今日が仕事納めでした。

8時台から19時前までノンストップで終了。
28日に続き、今日も予約MAXでした。
やり切った感でいっぱいですが、年末感がないなぁm(__)m
感覚的にはまだ、土曜日の気分です。

それでも多くの方と、「今年も1年ありがとうございました」とご挨拶ができて嬉しかったなぁ。
きっと調子が良くても、この挨拶をするためだけに足を運んでくれている方もいます。
本当に有り難いことです。

 

先程は今年ラストの花谷先生の月イチ電話コンサルでした。
今年も花谷先生のお陰でコロナ禍においても後手にならず、やり切ることができました。
2011年の震災時も、いち早く緊急ミーティングを開催して頂き、難なく乗り切ることができました。
その時のことを思い出した2020年でした。
今回は世の中があの時以上のダメージです。
きっと、花谷先生からの先導がなければ、「まぁ、平気ッしょ~」と余裕をかまして、今頃後手にまわっていたことでしょう。

近くにケツを叩いてくれる存在があることは、心強く、同時に身も引き締まります。
月末が近づいてくると、「ヤバイ、何もやっていない」と思うことも多々あります。
その繰り返しで、微小の歩みを続けてきております。

11月の経営計画会で、「YouTube動画を年内10本アップする」と宣言したことで、ようやく「1本だけ」アップできました。
動画を撮ることが、如何に大変か。
動画をアップすることが如何に面倒か。
たった1本で、良くわかりました。

1月中旬から、半年にわたるセミナー受講を決めました。
「どうせやるならトコトンやってやろう」と、12月頭に申し込みました。
香織先生にも帯同してもらい、2021年は動画に骨身を埋める覚悟であります。
経営計画会に出て、宣言していなければ、ここまではしていなかったかもしれません。
ブログ感覚で動画をサクサクッとアップできるレベルになるまで、地道に続けます。
もちろん、その後も続けます。

何を撮ろうか?

まずは手あたり次第出そう。
何事も、出し尽くすつもりで臨まなければ、新しいことは生まれてこない。
正月の何日かはまた、スマホに向かってしゃべります。

 

「2011年以上に、世の中大ダメージです。」

先程こう書いていて、これってちょっと異常だと感じました。

この1年は世の中が変わったように感じますが、失ってはいけないものもあります。
人間はコロナの比にならない大変なウイルスに立ち向かって文明を築いてきた歴史があります。
先人たちがそうやってきたから、今の文明もあるのです。

  • 距離を取ろう
  • マスクマスト
  • 咳している人を見ると嫌な気分

これだけテレビで大騒ぎすれば仕方がない部分もありますが、それでいいのか日本人とも私は思うのです。

体の語源は、「殻だ」です。
体という文字は、本来、死体を意味します。
死んだ「からだ」が、体です。
本来のからだは、「體」です。
骨が豊と書いて「からだ」と昔は書いた。
体は戦後からです。

体は殻だ。
何が殻か??
「魂が抜けたからだ」を体と言うのです。本来は。

身とは「実」です。
昔の人は「身」をからだととらえておりました。
実の抜けた殻が、体です。
要は体を容器として考えていたのです。
なんの容器か?
「魂」が入るための容器です。
殻に魂が宿ってこその、體でした。
からだとは、崇高な精神が宿ってこその體だったのです。
それが昔の人の身体観でした。

今毎日「何人だ」「増えた減った」「旅行いけ旅行いくな」とやっていおりますが、昔の人間が一喜一憂している、あたふたしている現代の人間をみたら一体どう思うだろうか。
宮本武蔵や、山岡鉄舟や、西郷隆盛は、どう今の人間を思うだろうか。
私はちょっと、悲しい。
酷い言い方をすれば、「魂の抜けた、殻の体が生活してる」ように見えるのではないかと思う。
今と昔の體観はまったく別物だったのですから。
今ほど脆弱化した時代はない。
人間が最弱スペックのからだと化してしまったと、私は思っております。

私にできることは、前を向き、いま自分ができることをトコトンやって生き、最期は潔く逝くことだけだと感じております。
死は決して怖いものでもなく、悪いことでもなく、死があるからこそ、今の生が輝くのであって、価値がある。
そのことを忘れずに、今を生きたい。
それしかできないのですから。

こんな世において、当院まで足を運んで頂けることが本当に有り難いです。
本当に今年1年ありがとうございます。
たくさん支えて頂きました。
トイレットペーパーやマスクが無くなってしまったとき、買ってきてくれた方までおりました。
本当に嬉しかった。

私にできることは、当院に通う皆さんは余裕で大丈夫だと、何故か解るその感覚と共に、施術をし、からだを立ち上げることです。
皆さんのからだは体ではない。
当院に通う方は一人残らず體です。

失ってはいけないもの。
他人を思いやる気持ちではないでしょうか。
綺麗ごとのようにも聞える使い古された言葉ですが、それがすべてだと感じる2020年でした。

P.S.
今は隣に住む人の顔がわからず、地球の裏側にいる人を知っているという時代です。
私が2006年からずっと師から言われていることは、「周囲10人を大切に」です。
皆さんも、周囲10人を大切にして欲しい。

いつもありがとうございます。

これからも皆さんの力となれるよう、技術も精神も高めて参ります。

【12月29日ぴゅあカイロプラクター日記より抜粋】

あえて、今時のたとえで言えば、流行りのキメツも、鬼はすぐに逃げるでしょう。
分が悪いすぐに命を乞うのが鬼です。
誇りとか、義とか、信とか、愛を貫くことではなく、ただただ生き延びることだけを選択する「合理的な生き方」を、鬼が見せてくれている。
「死んだら終い」としか思っていないのが鬼なのだ。
これって、今の我々でしょう?(-_-;)?違います??
鬼は、ただの抜け殻なのです。

柱はどうか。
己の命を賭してでも、最期まで仲間を守り抜こうとしたでしょう。
己の肉体を擲ってでも、仲間を守ろうとするが本来の人間だということです。

人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。【執行草舟著「現代の考察」206頁より抜粋】

ハワイのモロカイ島に隔離されたハンセン病患者のもとに、己の身ひとつで乗り込み看病し続け、最後は自分も感染して死んでいったダミアン神父の根源思想【ヨハネ伝十五章十三節】だそうです。
ダミアン神父のような人が人間だというのであれば、今の我々など、残念ながら余裕で鬼でしょうな。
今の「外出するな」「東京から来るな」「東京へ行くな」は合理的な生き方なのかもしれません。
我利我利亡者のキブツジムザンって、我々現代人のことでしょう?(笑)私にはそう見えてしまった。
それでもやらねばならぬことがあるのが人間の生だと、誰もが知っているハズだから、キメツって流行っているのかもしれないね。

いまこそ、ひとりひとりが、柱にならねば。
柱でなくても、キサツタイの一員くらいでなければ、本当に鬼のように生きることになるのかもしれないよ。
気を害したらスマナイがね。

 

自分は体なのか。
はたまた、體なのか。

 

生きるとは、なかなか厳しいものよ。
だが、困難に立ち向かうことは、なかなか気持ちのよいことだなぁ。

そんな2020年もまもなく終わる。

P.S.
今年も1年間お世話になりました。
関節エステを通じて、今年も多くの出会いがありました。
こんなブログを「毎日読んでます!」とか、本当に魂レベルで繋がっているとしか思えませんm(__)m
心から有り難く思っております。

2021年も関節エステは熱いセミナーを開催して参ります。
他のエステ系セミナーでは味わえぬ感動を届けますね。

いつもありがとうございます。

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toru-imizu

関節エステプロフェッショナルアカデミー代表の射水徹です。

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