著者の感じて来た苦悩に寄り添える人間になりたい。

日常

悪くて強い奴は、本を読んでいる。

昨日は18時に治療院終了後、いつもの如くベッドで寝てしまった。
起きたら20時30分。
昔はこんなことなかったのになぁと。

最近どうも心臓に来る。
たまに胸の辺りで、「トンッ」と感じることがある。
ここ1ヵ月くらいかな。
痛みはないが、昨年苦しくなった時は1月中旬だった。
1月はやはり心に来るようだ。
気をつけておこうと思う。
あまり気負わず行こう。

今朝は9時半から小川町の歯科へ。
昨年から通っているのだが、早起きついでに7時半には小川町に着いてみた。
7時の電車に乗ったので快適でした。
正直もっと空いているかと思ったけど。
電車通勤の方々は大変ですね。
心の中でお疲れ様ですと唱えました。
まぁしかし、皆さん顔が暗いわな。
マスクで目しか見えないこともあるが、ほぼ10割近くがスマホに釘付けです。

今朝はいつもとルートを変えて神田から歩いたので、いつもと違うカフェで1時間半ほど読書ができた。
まったくと言っていいほど解らなかった本も、ところどころ付箋を貼りたくなる箇所が出てくる。
それが何とも嬉しい。
いよいよ200ページを越えてきた。
あと44ページを残すのみ。
この200ページを読んだことだけでも、「やればできるじゃん」という気になる。
が、そう思うこと自体が「なってない」のだとも思います。

以前も書いたと思いますが、難しい本を読んでいると、他の本を手に取った時に「その差」が解る。
読み始めた途端に「うわッ読みやすっ!!」と。
以前「読みにくく」感じて避けていた本が、読みやすく変貌を遂げているのである。

「解らないものを解らないまま読む」というのも筋トレのようなもので、慣れると抵抗少なくできるようになってきた。
考えてみれば、子供の頃など漫画しか読んでいない私が、いきなり古典を読んで理解などできるハズがないのである。
それを「解らない」「難しい」と言って避けていたら、脳だけでなく精神が育たない。
今年44歳になるので、使わなければ加速的に脳力が落ちていくだろう。
今年は「いつか読むだろう」と溜めに溜め込んできた積読本を自己に入れて行く。
昨日8冊の新著を調達しているので、積読本はますます増える一方だが、いつかのために身近に置いておく。
執行社長のおっしゃる、「本は知的波動を受けるだけでも善い」という言葉に励まされ、より一層本は買いまくろうと。
いづれはひと部屋丸ごと書斎にできる家に引っ越したいと奥さんと話している。
壁一面本で埋めてみたい。
ビスケット・オリバ氏に憧れているわけではないのだけれども。


【刑務所内にあるオリバの書斎です。仕事がはかどりそう】

【執行社長は、まさに「リアルビスケットオリバ」です…】

【5分45秒】辺りからの執行社長の言葉に励まされており、この部分を何度も見返して古典に立ち向かっている。

「解りやすい」「誰でもかんたん」に、価値の重きを置く現代に溺れ切って生きてきた身ですから、「難しい」「解らない」など当たり前で、傲慢なのだと思います。
少なくとも私は傲慢きわまりない人間だと、今あらためて感じている。
今朝も、「うーん。まったく理解できない」と何度も思ったわけで。
「そう思うこと自体が傲慢」とも言えるわけですよね。
気を付けないと簡単に傲慢に溺れます。
常に心に留めて置きたい。

 

現在は場所を五反田に移しました。
こないだの日曜日に奥さんと歩いていて入ったカフェです。
以前はタリーズだったが、テラス席もあり、居心地が良い。
現在ランチ時ですが、空いてます。

これからホームページの作業です。

 

今夜は今年最初の大事がある。
今月は大事が多い。
新年早々、有り難い時間です。

 

P.S.

世間の人は、自己というようなもので大騒ぎなどしない。
なぜかというに、自己などというものは、世間でいちばん問題にされないものであり、それをもっていることに気づかされるのが何よりも危険だというようなものだからである。
自己自身を失うという最大の危険が、世間では、まるでなんでもないことのように、いとも平静におこなわれているのである。
これほど平静におこなわれる喪失はない。
ほかのものなら、一本の腕であれ、一本の足であれ、五リグスダーラーであれ、妻であれ、そのほかなにを失っても、すぐ気づくくせに。

この一文を読んで、まさに現代を感じた。
今の政治家からしたら、このまま国民ひとりひとりに「自己など持ってもらいたくない」だろう。
このまま眠ったまま生きていて欲しいだろう。
その方が何をやっても「はいはい」と、やること為すことすべてが罷り通るのだから。
きっとこのまま、「自分だけのことを考えて」「自分の幸せだけを願って」生活してもらいたいハズだ。

最後の一文の皮肉が、現代ではまず使われなそうですね。
直ぐに叩かれるだろうし、当時も散々叩かれたのであろう。

本音が書かれた本は、それだけで価値がある。
著者の感じて来た苦悩に寄り添える人間になりたい。

P.S.2
強くて悪い奴は皆古典を読んでいる。


【タフなら「鬼龍」でありたい(笑)】

 

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toru-imizu

関節エステプロフェッショナルアカデミー代表の射水徹です。

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