名作に涙し、名著に哭く。

日常

不幸を愛せば、垂直を貫ける。

映画「鉄道員(ぽっぽや)」を観ました。
1999年の作品ですね。
もっと最近かと思っていましたが、私はまだ大学生の頃でしたね(-_-;)

高倉健さん演じる「佐藤乙松」の生き様がカッコ良過ぎてシビレます。
涙なしには観れません。
私より、奥さんの方が泣いてましたけれども。( TДT)

今、あんな風に命を使える日本人がいるのだろうか。
なかなかできないだろう。
男として、カッコ良さに嫉妬すら覚える生き様です。
大学時代に観ていたら、「カッコイイ」と思ったのだろうか。

 

「環境や世の中の情勢に応じて常に変化できる人が素晴らしい。」

その通りなのかもしれません。
でも、この物質至上主義の世にあって、ちょっと間違うと、どこか人間の生の本質を見失って生きることになるように感じることがある。

成功したい。
いい暮らしがしたい。
自分が得をしよう。
もっと効率的な仕事を。
もっといい仕事がないのか。
もっと給料のいい仕事はないのか。

乙松とは対極にある仕事観だろう。
乙松がこんなつまらぬこと考えて、ホームに立ち続けたハズがない。
次の就職先が決まっている乙松の親友が、「俺が上に話するから、定年後また一緒に次の職に就こうよ」と話しを持ち掛けます。
乙松はうんともすんとも言わず黙っていた。

今は、転職するにしても、「退職前に次の内定をもらっておかないと」と、考えることが当たり前だろう。
「前より条件の良い仕事」、「給料の良い仕事」と、条件面から考える人も多いと思う。
ふつうと言えば普通。
もちろん、悪いことではない。
でもそれを「普通と感じる」感覚こそが、実は物質至上主義礼賛の、洗脳を受け続けてきた結果とも言える。
酷い人になると、「仕事のせいで『自分の時間』が持てない。自分の時間が持てる仕事が良い」と言う。
どう考えようが自由ではあるが、「仕事をしている時間こそ、最も大切な自分の時間」ではないのか。
「家族との時間」は、言うまでもない。
「仕事の時間」と「家族との時間」が、「自分の時間」ではないという「傲慢極まりない考え」も、コトを突き詰めると物質的に恵まれ過ぎた、また、恵まれることが当たり前という、「我儘な思い違い」からきているように感じるのだ。
ちょっと考えればわかること。
「自分の時間がない」という人の「自分の時間」というのは、「自分勝手気ままに遊ぶ時間のこと」を言っているのだ。
言葉にしてしまうと、非常に薄っぺらい時間のことを言っている。

 

今ほど生き切ることが難しい時代はないのかもしれない。
物質的なモノに価値を与え過ぎた。
故に、精神の脆弱さが際立つ。
毎日のニュースを聞いていれば、一目瞭然ではなかろうか。
何がそんなに不満で、自ら命を絶つのか。
私自身も例外なく、「幸福病」なのだと感じる。
幸福が解らなくなっているのだ。
現世的なことばかりを勉強していると、私個人としては生き切ることが非常に難しくなるように感じている。
現世的なことを学べば学ぶほどに、合理的に生きることが求められるように感じるからだ。

もっと裕福になれる。
もっと豊かになれなきゃおかしい。
誰もが幸せにならなければいけない。

メディアを中心にそう捲し立てることこそが、「無限経済成長」を実現するためには必要なことなのです。
「もっともっと」と煽り、国民に金を使わせなければならないのだから。
無限に経済が向上していくことを標榜する、「品のない民主主義」の行き過ぎた形が、今の在り様なのだと感じます。

合理性ばかりが持て囃される今だからこそ、「佐藤乙松の不合理」に共鳴する。
何でも効率良く、何でも合理的に。
それが本当に豊かなことなのだろうか。

やりたい放題、好き放題が過ぎて、今は弁えが極端に失われたのだ。
恥という概念が消えかかっている証拠です。

佐藤乙松からは、人間が本来持つべき仕事観を感ずる。
きっと戦後は乙松のような男が、少なくとも今よりは当たり前に存在したのだと思う。
鉄道員として汽車を見送り続けた男の最期は、本当に幸福な、圧巻の最期だったと感ずる。

世の中が変わっても、佐藤乙松が己の信念を曲げることはなかった。
己の理念を貫いた故の、幸福な死が在った。

不合理を愛するとは、自己の人生に降りかかる矛盾を、すべて受け取るということである。
それは、実人生に起こるすべての不幸を受け容れることを意味しているのだ。
現実の世界においては、この不合理を回避しようとする考えが、「憧れ」を見失なう人生を創っているように思う。
それは、憧れが宇宙や生命を創り上げてきた本源的なものの故郷であるからに他ならない。
【中略】
だからこそ、我々の実人生というものは、不合理を食らい、不幸を受け容れなければその価値に輝きを与えることが出来ないのだ。
たとえ世間が不合理の価値を認めないとしても、垂直に向けた歩みを貫徹しなければならない。
それが愚かに生きるということなのである。
不合理を愛するとは、実人生の矛盾をすべて愛するということでもある。
それは、全ての不幸を受け容れる人生を送るという覚悟を意味している。【「憧れ」の思想 執行草舟著 103~104頁抜粋】

凄い文章です。
そしてまさに、佐藤乙松のことである。
乙松の生き様は不合理だ。
身に降りかかる不幸をすべて呑み込んで死んだ。
すべての不幸を愛し、垂直を貫いて死んだのだ。

 

カッコイイよなぁ。

「鉄道員」がこんな映画だったとはまったく思っておらず。
かるい気持ちで鑑賞し、心の深部が熱くなった。

俺も必ず、垂直を貫く。

 

いやー、映画って本当にいいもんですね。

P.S.
Hulu加入しているのですが、しばらくあまり使わずにいました。
もったいない。
これを機に、週3本はノルマと課す。

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関節エステプロフェッショナルアカデミー代表の射水徹です。

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