テレビを消して、良書に触れよ。

日常

睡眠と良書で、乗り超える。

本音を書こう。
コロナに関しては、もう騒ぎ過ぎでしょう。
「無責任なことを言うな」が9割でしょうけども。
でも、正直な私の気持ちは、こうなのです。
気を悪くなさらずに。
治療院をやる以上、できる対策はしておりますが、正直なところ、こんな手が荒れるまで除菌する必要があるのかねと言うのが本音です。実際は。

2週前くらいの「トイレットペーパー大行列」を目の当たりにした時に、いよいよ日本人も終わりだなと感じました。
何事かと思いましたから。
香織先生に、「やたら皆トイレットペーパー持って大行列だったよ。会社のトイレから一斉になくなることってあるのかね?」と、その時聞いたのだが。

「恥」という言葉を失いつつある。
もう潔く「失った」で良いだろう。
それが今の日本人です。
もちろん、私も人のことは言えません。
そういう部分があることを四十にして気づき、改めることが多々あります。

必要以上に大騒ぎしてはいないか。

仕方ないと言えば仕方がない。
これだけ情報が飛び交う世の中です。
メディアが右と言えば一斉に右へ、左と言えば左へ。
トップからしたらこれほどやりやすいことはないでしょうけれども。
テレビの見過ぎで病んでいる人も多いのが実際です。
テレビを見ない私でさえ、今日現在の情報は普通に入って来ますからね。
観た事のないCMのことも知っています(YOSHIKIがスーモのCMに出てるとか。もう古いだろうけども)。
テレビなど捨てても、何も困ることはなさそうです。

物質至上主義のなれ果てが今です。
物質礼賛の一方で、人間の精神は崩壊に向かっているでしょう。
「アレが欲しいコレが欲しいもっと欲しい」と、「もっともっと」の結果として、精神が失われた。
精神よりも、物の方が大切になってしまった。
物のためならどこまでも。
だから、スーパーやコンビニからも商品が消えるのだ。
精神が失われるということは、動物になるということです。
「快と不快」で動くのが動物です。

「恥」と言う概念は、もうこの先ドンドン失われていくだろう。
それは3.11でも経験したことだが、約10年経つ今も、様相はまったく変わらず。
「付き合う」ことができなくなったのだと感じます。
本音で話ができなくなった。
「今日は暖かいですね~」というウワベでのお付き合いしかできなくなったのが、今だと感じます。
本音でぶつからないから、喧嘩にもならない。
今は、SNS上で袋叩きに合うだけ(特にあったこともないのだがm(__)m)。
仮にそうなっても、なにも痛くもかゆくもないことです。

子供の頃はまだ「付き合う」ということが身の回りに溢れていた。
姉と私が小学生の時、両親が同時に入院した時があった。
近所の友達だった森澤君の親父さんが、夜な夜な突然訪ねてきてくれたことがあった。
「おう!大丈夫か?」
食事を持ってきてくれたのだ。
明るいおっちゃんで、姉も私も心が解けたことを今でも忘れません。
隣の長澤さんから、「作り過ぎちゃったから」と料理が届くこともあった。
子供の頃は、まだ近所付き合いということがどういうものなのか、感じる場所があった。
今はほぼ皆無だろう。

先日、奥さんの友達が家に遊びに来ていたのだが、「マスク足りてる?」と10枚も持ってきてくれたそうだ。
「家はたまたままだあるから、よかったら使って」と。
そういう人もいるのだ。
今回のコロナは始まりに過ぎず、この先いくらでも同様のことは起こるだろう。
抗生物質やら除菌が必要以上に進めば、更なるウイルスだって生まれるでしょう。
それは歴史が物語っているじゃないですか。
その頃になったら完全な麻痺で、もう危機すらも感じなくなっているかもしれませんね。
そのまま、いつの間にか一つの文明が終わっていくのかもしれません。
テレビでは散々外出を控えてと言っていたようだが、ある報道番組では株価が下がったとたんに、「まぁ、あまり考え過ぎてもね」と手のひら返しで「消費しろ」と。
当院にも「経済が心配ね」と言う方が何人かいたが、そんなに心配か?
無限経済成長をうたい続けてきたなれ果てが、今の日本社会ではないのでしょうか。
「大量生産大量消費」という、「経済成長絶対善」的発想を捨てれば良いのでは。
無限経済成長というアメリカ的発想を捨て、日本人本来の国民性に戻る機会が訪れたと考えれば良いと感じます。
まぁそれも、綺麗ごとにしか聞こえないのだろうけども。
でも、誰もが薄々感じていることでもあるだろう。
大型スーパーも良いですが、近所の商店街で買い物をして、「最近どーよ?」「いやーボチボチだなー」みたいな温かみが欲しいと感じます。
もちろん実際の姿、形は、今とはかなり違うものなのかもしれませんが。
20~30年後には今のような希薄さから、密な繋がりが社会の中心になっていくのではなかろうか。今一度。
いま私たちはその過渡期へと向かっているのだと感じています。
「いくのではなかろうか」と他人事のように書いてしまったが、そんな役割が地域の治療院やエステサロンにはあるのです。
今現在の私たちが、次に繋ぐ何か、失ってはいけない何かを繋ぐポジションに在るように感じる今日この頃です。

「恥」とは何か。

「恥を雪ぐ」という言葉が、執行草舟氏の書に出てきました。
振り返ると、3.11の際は私もかるいパニックでした。
買い込んだりとかはしなかったから、そんな気はしておりませんでしたが、知人からのチェーンメールをブログにあげてしまったことがある。
「こんなの来たから気を付けて」みたいなメールでした。
当時、本当に情けないことをしていたなと。
これこそ、「恥」です。
今でも恥ずかしいことをしたと感じます。

恥知らずとは、自己のもつ悪を全く認識していない人間のこと。【執行草舟著 生命の理念Ⅱ181頁より抜粋】

自分への戒めとして、今でも残しております。

 

コロナ最前線の会社で働く方が、先ほどいらっしゃいました。

「正直なところ、まったく気にしていません。もちろん手洗いうがいはしますが、一番は睡眠です。インフルよりはちょっと致死率が高い風邪という認識ですからね。」

冷静に考えて欲しいが、普通の風邪でさえ、「風邪を治す薬」など、この世にはひとつも存在しないのです。
必要以上に恐れませんように。
なったら?
なったら病院行って、よく寝ますよ。

 

気持ちを一定にするには、良書に触れることです。
身体に栄養が必要なように、精神を立ち上げるには日々良書に触れることです。
カップラーメンを食べたって、精神力は培われません。
良書を通じ、日々、感動することです。
肉体を動かすエネルギーと、精神を動かすエネルギーは、別物です。
いま僕らに必要なものは、精神を立ち上げる良書です。

P.S.
最近、花粉症状が楽でした。
「マスクはウンザリ」と思い、今日は外してランチへ。
調子乗り過ぎました。
その後、落ち着いていたくしゃみと目のかゆみが止まらず。
顔を洗ったら、落ち着きましたが。
やはりこの時期は、マスクが必要だ。
花粉症とは、彼是30年近いお付き合いです。m(__)m

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toru-imizu

関節エステプロフェッショナルアカデミー代表の射水徹です。

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