愛は知の極点である。

アカデミー日記

簡単なものを心の底から愛せるか。

昨日に続き、こんなメッセージも頂きました。

 

2021年は本を読む
目標8冊/年

少なっ!と娘に言われましたが
活字を読まなくなって早数年。

漫画ならいくらでも読めるのに…。

 

たしかに、「少なっ!」(笑)
月かと思った!(笑)
というわけで、「せめて月1冊にしよう」と提案しました(^_-)-☆
でもね。
嬉しいよ。
関節エステを通じて、そうやって行動しようという気になってくれたのだから。

今は「年ゼロ冊」の人は、多いと思いますよ。
電車に乗ればわかりますよね。
全員スマホしか見ておりません。
本を読んでいる人など本当にいません。
たまに見かけるとちょっと嬉しくなるほど。

と、いうことはですよ。

家で本を読むわけがないじゃないですか。
本は「外が一番読める」のですから。

だから年間ゼロ冊の人がおそらく8割です。
後の2割の人が、たくさん読んでいるのでしょう。

もし年に12冊読んだら、この先30年生きるとしたら、360冊も読めますね。
実際はもっと読む人になるでしょう。
関節エステに来たことがきっかけで、「始めよう」と行動する人がいることが、私にとっては奇跡レベルです。
私を見て、何か感じてくれることがあるというのは、奇跡なのです。

 

ただ、今は書店に行っても聞こえの良い本しか並んでおりません。
「楽して〇〇」とかばかりです。
もう楽したくて仕方がないのが現代人だということです。
そんなものを大量に読んでも、まぁそれもどうなのかとも思うところではあります。

 

「スマホを見ているのは電子書籍を読んでいるからだ」という人もいるでしょう。
私は以下の言葉にとても力を頂きました。

電子はエネルギー的には与えられるもの。
だから駄目なんだよ。
電子が駄目なのではなく、「与えられること」が駄目なんだ。

一方、活字は積極的に自ら向かわないといけない。
だから書物なんだ。

10ミニッツTVでの、執行社長の言葉です。
「生体内での化学反応」が違うのだそうです。
こういうことを言葉にできる事が凄いですよね。

私の体験的には、電子書籍はまったく駄目で。
読んだ気にならず、何も入ってこないのです。
きっとこの言葉のように、「与えられるから」なのだと思う。
読書というのは、自ら向かっていかないと駄目なのです。

というわけで、いつか持つ書斎をカッコよくするために、難しい本にどんどん挑戦しようと考えております。

私は買ったはいいけど、読んでいない本が山積みです。

なかなか進まない体験が良いのだと感じます。
私がお世話になっているドクスメさんは難しい本ばかり置いてあります。
見るとかたっぱしから欲しくなって買ってしまうのですが、本当に10冊買って2冊読み終えるくらいm(__)mごめんなさい。
でも、その8冊に意味がないかと言ったらそうではない。
「自分はこんなに読めないほど、知性がない」という自覚にはなる。

栄養ドリンクのように読んではホイホイ捨てる書物など、精神の立脚には1ミリたりとも役立たない。
これは私の体験から言えることです。
いま書店に並んでいる本は、著者が有名になりたい本ばかりではいないか?
あとはいわゆる売れる本。
商業上それはわかるのだが、TVが簡単な情報しか流れない上に、本まで簡単だから、もう知性など皆無に等しいでしょう。
それこそ難しい古典は、自ら向かって行かねば得られないのだ。

「愛は知の極点である。」【西田幾多郎著「善の研究」262頁より抜粋】

知が失われるということは、愛を失うということです。

簡単なものを心の底から愛せるか。
簡単なものを心の底から誇れるか。
簡単なものを精神的支柱にできるか。

人間は苦悩し、それを乗り越えようとする過程から多くを得て生きていることが解るだろう。

簡単なものを要求する。
知性を要さぬものを求めるということは、愛を失い、誇れるものを失い、精神的支柱を失うということなのです。

 

と、「年間8冊のほのぼのスタート」から話が飛躍し過ぎましたが、これも関節エステの特徴となりつつあるので、仕方がない。
いつも付き合ってくれてありがとう。
何より、ネタをくれたことが有り難い。
どしどしメッセージお待ちしております(^_-)-☆

P.S.
奥さんがスマホ画面をスワイプしまくっている時はゲーマーになっている時です。
愛を失わずにいて欲しいと心の片隅に願うばかりでございますm(__)m

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関節エステプロフェッショナルアカデミー代表の射水徹です。

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