お世話になっている花谷先生と食事会です。

日常

二日酔いの一歩手前を攻めたい。

今朝は8時台から治療開始。
書く時間が取れないことは解っていたので、前日からある程度は書いておきました。
特に土曜日のブログは金曜日の内に書いておくこともあります。
土曜日は治療院終了後に用事があることも多いので、そうしないと更新が途切れてしまいます。

インスタで「〇〇さんからお土産頂きました。いつもありがとう」も良いですが、ブログの良い点はストーリーを書ける点ですね。
「〇〇さんとは以前こんなことがありました。」
私もインスタを使っていますが(ごく稀)、スマホで文字を打つこと自体が面倒で(-“-)
そしてら、「インスタは写真ですよ。たくさん書いても読みませんから」と。
「インスタ映え」というヤツですね。
視覚優位な時代ですからそういうものなのでしょうね。

インスタントなものが優遇される時代なのです。
手間を嫌う時代と言える。
糠漬けのような手間のかかるものは、工業化と共に失われていきました。
「手間を嫌う。」
関係性が失われつつあるのも、手間故でしょう。

逆に考えれば、何でも自分ひとりでできる時代になったとも言えます。
他人と関わる必要がなくなった時代。
コロナがそれを象徴しております。
人に認めてもらおうとする必要もない。
手間を嫌うクセに、人との関わりを避けているクセに、それでもまだ「もっと私を認めて欲しい」と言っているのは、頭がおかしい。
今は、「もっともっと」で、病んでいる人が多い。
「もっと欲しいもっと認めて」と際限がない。
人と関わらずとも、何でも自分でできる時代なのだから、「もっと認めて欲しい」は捨てないと駄目です。
動きが鈍ります。

自己重要感。
自己肯定感。

そんな言葉ばかりが一人歩きして、そういうものがなければ駄目だと言われている。
本当か?

他者を認めてあげて、自己重要感を高めてあげよう。
自分は素晴らしいという自己肯定感のもと行動しよう。

これらも「厳しい時代」には、ほんの少しの救いとして必要だったかもしれない。
今はそもそもが、我儘放題好き放題やりたい放題の、行き切った民主主義の時代だ。
最初から「自分が神」になっている人間が、「もっと私の欲求を満たして」と言っているのだからしょうもない話なのだ。
弁えを失った自己肯定感ほど、みっともないものはない。
見ていると、今はほとんどがその類だろう。

自分はしょうもない人間だ。
「それを認めるからこそ突き進めるのだ」と、41歳にしてようやく体感している。

今は何の恥ずかしげもなく、「私は幸せです」とみんながみんな言っている。
自分の幸せのことなど考えている時点で、もうおかしいのだ。
それすら、もう解らなくなっている。
私自身が2014年に「幸せになりたいです」とか言っていたけどね(笑)
今思い出しても顔から火が出るほどに恥ずかしい。
だからわかる。
自分の幸せなど求めた時点で、そんなものはただのエゴイズムなのだ。

人の幸せを願うこと。
それは人間にしかできないこと。

幸福とは、他者に対する概念である。

ちょうど昨年の今頃。
執行先生の講演会に3人で行った際にストンと肚に落ちた言葉です。

【PHP研究所 「現代の考察‐ただ独りで生きる‐」出版記念講演会にて】

幸福の概念に自己が入れば、それはただの際限のない欲望なのだ。
そう言うと、「それで何が悪い」と言い返されるのが今の社会。
今こそ、「ただ独りで生きる」という精神の立脚が必要だと感じている。

 

今夜は花谷先生との食事会です。
今年も無事開催できることが嬉しく、有り難いです。
昨年は出会い頭に、いきなり頭をナデテイタダキマシタ。
「またどうせお前緊張してるんだろ(バコッサスサスッ)。」
それで解れました(爆)

昨年は待ち合わせ場所から200m先にいる花谷先生を一瞬で見つけました。
「あ、キタッ!!!」
「え、どこどこ??え、全然わからない、どこ??」と香織先生と奥さん。
二人が気づいた時、「よくあんな遠くでわかるね!!」と驚かれました。
気で感じ取りましたから。

【注:あくまでイメージ図です】

ずっとお世話になっている先生をご招待できることが嬉しいです。
毎年飲み過ぎて翌日が酷いことになるので、今夜はうまく水を挟みながら、それでもギリギリラインを攻めていきたい。
昨年は酔っ払い過ぎてクレジットカードを失くしましたからね(-_-;)

明日は治療院の定休日ですが、やることMAXなので出勤してPCに向かいます。
果たして出勤できるのであろうか。

P.S.
ブログ更新間に合って一安心。

セミナー情報など配信しています。
お友達登録宜しくお願い致します。
友だち追加

 

 

toru-imizu

関節エステプロフェッショナルアカデミー代表の射水徹です。

関連記事