わからぬがよろしい。

アカデミー日記

昨日は甲野善紀先生の講習会でした。
先月に続き2度目の参加で、今回は妻も一緒に参加させて頂きました。
先月の初参加の時は、武道関係者の方ばかりの中に、ジャージ姿で参加させて頂きました。
私の人生、武術などとはまったく関わってきませんでしたが、そういうコトに憧れがあります。
実は妻も、「気づかぬ内に斬られていた」みたいな、そういう偉人の世界が大好きなのであります。

講習会と言っても手取り足取りやり方を教えて頂くようなものではありません。
あくまで甲野先生が今興味のあることを見せて下さり、体感させて頂いております。
同じ場を共有する方と自然発生的に練習が始まることもありますし、先生の技を観て、受けて体感するも自由です。
私自身、書籍で読んだ程度の浅い知識ですし、「なにかに活かそう」などという烏滸がましさは捨てています。
学びの邪魔になるだけのように感じます。
ただただ「不思議だな」、「面白いな」と感じながら技を体感させて頂いております。
学ぶということは能動的なものですし、「手取り足取りでない場」がとても新鮮で「あー、居心地よいなあ」と。
「あーでもないこーでもない」と、知らない方自然と練習が始まりました。
「何回でできますか?」とか意味不明な失礼な質問をするような人は、当然来れないであろう場ですからね。

純粋に、「身体って面白いなあ」と。
たくさん「コロッ」と引っ繰り返えして頂き、ただただそのコトを笑うしかありませんでした。

今日は昼に香織先生と、見よう見まねで遊んでみました。
もちろん、そのやっていることが、合っているとか間違っているとかすら、まったくわからない。
それがまた愉快。
愉快過ぎな昼休みで、気持ちがカラッと明るく楽しくなりました。
これもひとつの、大きな「効果」です。
なにができたわけでもなく、なにがわかったでもなく、ひとつとして腑に落ちたことなどないわけですが、とにかく場が愉快になった。
「できるできない」ばかりを論じ、できたことだけを「学びの効果」としか感じれないのは、本当はそこら中に満ち溢れている豊かさを忘れているのです。
あらためてそのことに気づく昼休みとなりました。

 

そして今日も一本歯下駄で遊びました。

身体が目覚める感じです。

P.S.
「理解しようとするな、わからぬままに、突き進むのだ。」
執行草舟氏の言葉です。

toru-imizu

関節エステプロフェッショナルアカデミー代表の射水徹です。

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